hannya

1: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 21:30:26 .net
何故?


3: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 21:36:20 .net
カッチョ悪いからダメです。

4: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 21:39:52 .net
光明真言

通常バージョン
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん

日本語バージョン
心からお願い致します、宇宙に遍満し常住であられる大日如来よ、その偉大な誓いを示す悟りよ、
智慧と慈悲の掬いの光明を差し伸べて下さい。是非ともお願い致します。

うーん・・・まあ、カッコ良くはないかな・・・

5: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 21:49:47 .net
真言とかは日本語だと格好つかないかもしれんけど
祝詞は現代語でもいいんでないかな。
素人がカッコよく古文祝詞を奏上するのは難しい。

6: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 22:00:56 .net
お経には昔から和讃と言うちょっと中途半端な日本語版(下手な漢文読み下し)みたいなものも多数あります。

21: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 13:07:25 .net
>>6が触れているが、「和讃」或いはその形式をなぞったものは多くある。
(「和讃」は元々「御詠歌」の歌詞としてのものなので、語呂がいいのは当然とも言えるが・・。)
そして、たとえば白隠の坐禅和讃の読み易さ(語呂のよさ)は群を抜いていると個人的には思う。
具体的には、『どれだけ七五調に収まっているか』がポイントであり、
『現代語での表現は七五調に収まりにくい』ことが、
古文調の方が読み易く・ふさわしい、現代語によるものは「リズム(拍)」が取り辛く・格調が下がる、
といった違和感を生じさせるのだろう。
だから、現代語を使用しても、七五調を押さえることで、かなりそれらしいものにすることは可能なんではなかろうか。
尤も、『七五調を押さえようと思うと、「自然、古文調に近くなってしまう」』という日本語の文化的力学も働くだろうが・・。

7: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 22:05:24 .net
現代語は悪くはないが、あまりに現代語に直すと荘重さや厳かさがなくなり、
気持ちが入らない。
唱えてても乗らない。気分的にノリが悪くなる。

11: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 22:40:03 .net
口で唱えるときに独特のリズムは必要でしょ。
ノリが悪いとはそうことじゃないの。

21: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 13:07:25 .net
>>11が言うようなことが最大の理由だろうと思う。


12: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 23:29:01 .net
平易過ぎる現代語だと、まるで台詞の棒読みみたいになる。
これじゃ気持ちや情感が全く湧かないな。

14: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/06(水) 23:33:30 .net
これ好きでコピ保存してあるけど

ハニャーン心経
とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO!
モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、
実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。
とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、
汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。
実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、
無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。
こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。
考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。
ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、
それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。
まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、
もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
じゃあ唱えるぞ。
「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」
ハニャーン心経

30: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/08(金) 09:15:27 .net
>>14
今時、2ch 語まみれの文体は恥ずかしくないのかと、
小一時間問い詰めたい。

31: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/08(金) 09:34:59 .net
>>30
何年前のネタだと思ってんだよw

32: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/08(金) 16:24:50 .net
>>31
何年前のネタなの?

34: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/08(金) 17:31:04 .net
>>32
初めて見たのが2003年のコピペだから、それよりも前だと思う。

16: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 11:58:41 .net
古い言葉で神様に話しかけるから神様もそれに合わせてくれてるんじゃないの?
現代語で話しかけたら現代語で返ってくるかもよ。

17: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 12:27:24 .net
昔ある聖書研究者が明治の文語体聖書と現代の共同訳聖書の語調、文体を評して
「現代の共同訳は確かに原典に忠実で分かりやすいが、文語体聖書の方が言葉が練れていて語調もよい。
何故かといえば現代口語は言葉としても歴史が浅く、練れていないので文としても余りいいものにならないからだ。
その点文語体は日本で訓読ができて以来、長い月日と使用を経た背景のお陰で言語として出来上がっている。」
と言った。
例として明治以降翻訳の文献の事例を上げたが、お経や祝詞にもそれがあるような気がする。
現代口語は成程分かりやすいが、如何せん祈願の言葉として使う時あまりにも生々しさが有りすぎ
あたかもあのマイバースデイの遊び半分地味たおまじないの文言やらラノベの台詞のような厨臭さが漂い、どうにも頂けない。(無論ラノベの擬古文は口語以上に厨臭さとみっともなさが出て来るが)
勿論内心で念じる言葉は自分の言葉、口語でしっかりしたらいいとは思う。
が言葉として読誦や奏上するのは古来からの文がいいんでないかと。
以前ある法会で陳べられた表白が現代口語を交え過ぎていて、余りのその言葉の生々しさと格調の無さ、気の抜けた文に閉口したので尚更そう思ってしまう。
あの表白は文章が下手というより、口語が如何に気の抜けた力の入らない言葉であるかという感じしかしなかった。

22: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 13:23:08 .net
3行でまとめて

24: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/07(木) 13:28:23 .net
>>22
古来から、「古文調は厳粛な場面に即したもの」というイメージが根付いている。
七五調を外れると、もたついて美しさが欠ける。
「語調の硬さ」は、そのまま「雰囲気の硬さ」に直結し、七五調もまた、古来からの硬さを補強する。

42: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/10(日) 03:43:27 .net
「祓ひ給え。清め給え」
を現代語にしたら
「祓って下さい。清めて下さい」
これだけ見ても現代語じゃダメだなw
全く気分が乗らない。荘厳さに欠ける。薄っぺらい。
やはり祈るにはそれなりの文体と厳かで日常と違う言葉遣いが必要。

44: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/10(日) 04:01:04 .net
> 「祓ひ給え。清め給え」
これは、「ひ」が旧仮名遣いである以外は
このままで現代語だと思う。
「ひ」だって、発音は「い」だし。
(要するに、単に例としてイマイチ)

49: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/10(日) 05:53:39 .net
日本のカトリック教会の主の祈りは現代口語だね。
「天におられるわたしたちの父よ」てやつ。
プロテスタントは「天にまします我らの父よ」で現代語モドキの文語とでもいうのかな。

50: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/10/10(日) 22:21:36 .net
カトリックはつい最近までラテン語だったよ。
プロテスタントが先に各地の言葉で礼拝を始めた。
個人的には神道の祝詞もそのままがいいし、お経もそのまま、
キリスト教もラテン語が一番だと思う。
もちろん個人の祈りは自分の言葉で祈るのが一番だよ。
車と燃料の問題にたとえると、どんな格調高く祝詞をあげても、愛という燃料がなければ車は走らないということじゃね

73: 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/04/25(月) 00:09:01.36 .net
呪術として読経する人は
「抑揚やリズムが間違ってると効果がない」
とか言うからな。
そして、宗派によって漢字の読み方が違って揉めたりするの。
そんな人らにとっては日本語訳なんてもってのほかだろう。

経典の内容を理解して実践しようという教養のある人なら、
ちょっと解説を読めばだいたい理解できるから
漢訳のままでも良いんじゃね?漢字知ってんだし。

祝詞は日本語だからなおさら


80: 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/06/30(木) 13:14:19.53 .net
仮にホラーゲームのように悪霊に襲われるようなシチュエーションがあったとして
お経を唱えるのは襲われた(生きている)人間に自信のようなものを与えると思う。
「よっしゃ、これで勝つる!」みたいな。
そんでその気合いのような生きてる人間のパワーは、死んだ人間より強いと思うんだよ。
要は気合いですよ。
気合いが入るなら別にお経じゃなくてもかめはめ波でもいいんです。

86: 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/10/28(金) 10:40:58.59 .net
お経には意訳?読み下し?た和讃ちゅうものもありまして・・・

・・・般若心経の最後の有名な真言部分

(訛ってますが、)
がーてぃーがーてぃーパーラーがーてぃーぱらさんがーてぃーボーディーすばはー
漢訳で訛って(古代の中国語では音は近い?)
日本語の漢語読みで訛りまくって原型と元の言葉としての意味は崩壊し単なる意味不明な呪文。
ぎゃーてーぎゃーてーはらーぎゃーてーハラソーギャーテーぼーじーそわかー

伝わっている各国で読み比べをすると面白いかもね

87: 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/10/28(金) 12:42:42.62 .net
聖不動経みたいに原則和文で読むお経もあるしね 
ゴマ祈祷の時に読むと中々感動する 不動さんは衆生を救うために青黒い汚泥まみれで
一歩も退かない不退転の形相なんだなあ、って

52: 名無しさん@京都板じゃないよ 2010/11/05(金) 02:36:36 .net
スタイリッシュお経
http://www.youtube.com/watch?v=HakgMDrDiwg


元スレ:http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1286368226/
04




すぐに意味がわからない事が重要なのかも