910:本当にあった怖い名無し:2013/10/12(土) 02:00:45.34 ID:nopZvDaX0

これは父の話になるんだが、終戦後―
父は京都教育大学の空手部部長で右翼だった為、学生運動さかんな頃に
時には女、時には酒などで何度も過激派から命を狙われ、銃で撃たれた事もあった。
京都教育大学が学生達に閉鎖されようとした時には仁王立ちして彼等の侵入を防いだ。
とにかく圧倒的に強く、教育大の寮に住み込んでいた。ただ戦後は食料が無く、時にはカエルも食っていたそうだ。
当時、ほとんどの日本人が飢えに苦しんでいた。人々はみるみるやせ細り、食うものに困っていた。
ところで父には一人の友人がおり、その友人は空手をやっておらず、生活も困窮していた。
その頃の京都は街灯なんてなく「千本以上の塔婆が立っている寂れた寺院ばかりだった。
続く…