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1: 名無しさん@おーぷん 2016/07/13(水)21:31:05 ID:0rO
空海「代わりとして稚児を相手にするンゴ」
稚児
平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、これも稚児と呼ばれるようになった。
皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食と呼ばれた。
真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)においても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。

稚児愛文化と空海
鎌倉時代から室町時代における書籍に、稚児愛の祖として記されている。空海自身が稚児愛を行っていたという証拠はなく、祖であるというのも俗説であるが、稚児愛の聖性の根拠として、当時広く知れ渡っていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/少年愛
https://ja.wikipedia.org/wiki/稚児