出典を調べても史料に行き当たらず、後世どこからか涌いて出たようなエピソードって結構あるよね。

本スレの3分の1はジャガイモと胡椒で出来ています

記事本文が長い為、目次を作りました
・ワシントンの「桜の樹の伝説」の真偽
・マリーアントワネットの「お菓子」発言
・大航海時代の胡椒は金と同価値だった?
・「厩戸の皇子」の名はキリストの影響
・江戸時代の識字率は50%?
・細菌兵器「天然痘毛布」
・ヨーロッパの人口はジャガイモで増えた
・戦時中の敵性語狩り
・ダヴィンチの評価
・オリハルコン=最強強度の金属説
・ニュートンとリンゴ
・ナポレオンは「孫氏」を学んだか
・ルーズベルトは真珠湾攻撃を察知していた?
・古代ローマでは処女は処刑できなかった
・ナイチンゲールの活躍
・鐙が無い時代は騎馬突撃できなかった?
・日本は世界最大の銃保有国だったか
・キリストは十字架に磔にされたか
・反射望遠鏡の発明者
・革命前のフランス人は風呂に入らなかった
・インディアンは本当に嘘をつかないか
・「倭」の字は蔑称として使われていた?
・東郷ビールは存在するか
2: 世界@名無史さん 2012/09/16(日) 13:39:05.46 O.net
「桜の木」の伝説
ワシントンを崇拝する動きが、伝記での逸話の創造につながった。子供のとき桜の木を切ったことを父親に正直に話したら、かえって褒められたという挿話(ワシントンの斧 - George Washington's axe)が流布しているが、これはワシントンの死後にマウントバーノン教区のパーソン(牧師)、メーソン・ロック・ウィームズが子供向けに書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』の中で、「嘘をついてはいけない」という教訓のために書いた作り話であるとも言われているが真偽は明らかでない。通説では、ワシントンが子供のころ、つまり1745年前後にはアメリカ大陸には桜の木はなかったとされている。(ただし、原文は"English cherry-tree"。)この話は初版から第四版まで掲載されず、1806年の第五版から掲載された。ウィームズはまた、ワシントンがバレーフォージの近くの森で祈りを続けたという話も作り上げた。ウィームズの経歴も「マウントバーノン教区」なるものは存在せず、事実であったかどうか疑わしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・ワシントン
3: 世界@名無史さん 2012/09/16(日) 14:05:02.11 0.net
お菓子を食べればいいじゃない
マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介されることがある(ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言とされることもある)。
しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明している。ルソーの『告白』(1766年頃執筆)の第6巻に、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、“家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公夫人が答えた”ことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつであるといわれている。庇護者で愛人でもあったヴァラン夫人とルソーが気まずくなり、マブリ家に家庭教師として出向いていた時代(1740年頃)のことという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリー・アントワネット
貧乏人は麦を食べればいいじゃない発言とか?
・その際、戦勝を祝って三日月形のパン(クロワッサン)が焼かれた。
・ジョゼフィーヌの従姉がオスマン母后であったせいで、離婚後ナポレオンが孤立した。
・アレキサンドリア図書館の蔵書を焼いたのは、エジプトの征服者アムル。
・コンドームの発明者は英国のコンドン博士。
・アインシュタインが日本の存在を神に感謝とすると発言した。
12: 世界@名無史さん 2012/09/17(月) 20:59:17.49 0.net
肉の保存や臭み消しとしてヨーロッパでは非常に重宝されたって話とセットだが
「金と同価値の保存料」を使う肉ってのは、当然、金以上の価値があったのだろうな。
胡椒の価値
胡椒は、ピペリン(piperine)による抗菌・防腐・防虫作用が知られており、冷蔵技術が未発達であった中世においては、料理に欠かすことのできないものでもあり、大航海時代に食料を長期保存するためのものとして極めて珍重された。ヨーロッパの様々な料理に使われており、またその影響を受けた様々な料理でも使われている。このため、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていた。十字軍、大航海時代などの目的のひとつが胡椒であったという見方もある。その取引における高値のさまは、1世紀のローマにおいて金や銀と胡椒が同重量で交換されたかのような表現もされ、 中世ヨーロッパにおいては、香辛料の中で最も高価であり、貨幣の代用として用いられたりもした。この代用は実際に金と胡椒が同重量で交換されたといわれ[8]、輸入をしていたヴェネチアの人々は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、価値を高めることもしていたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/痔
そもそも同量とはいかなる意味か?
重量か?体積か?
重量ならば大した額にはなるまい
かつてヨーロッパで肉の保存のため香辛料が珍重された・・・というのはただの俗説らすい。
イタリアの大学教授が書いた「食のイタリア文化史」という本で読んだのだが
バカ高い香辛料を買えるほどの大金持ちが、何でわざわざ臭み消しが必要なほどの古い肉を食うのか。
・・・という感じで俗説をばっさり斬り捨てている。
いった具合のようだね。
もちろん、コショウの方は量で小売価格が全く違う(100g700円なんてのもある)
からなんとも言えないが、金1gがコショウ700g~3kg前後といったところかな?
身代金として同じ目方の金を要求し云々といった話も
あるようだから、単に「高額」「法外」の表現じゃないか
という気すらしてくる。
もっとも、肉に比べればコショウの使用量はごくわずか
だから、肉の価値との比較は少々違うような気がするね。
大航海時代
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1290595317/l50
704 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 23:04:27.50 0
金と同じってのは、胡椒じゃなくてクローブじゃなかったっけ?
706 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 11:58:23.79 0
胡椒が金と等価交換って話、日本語版のウィキペディアにも書かれてる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B3%E3%B7%E3%A7%E3%A6
713 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 23:12:36.75 0
>>706
英語版にはないみたい
714 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 20:29:05.49 0
>>713
たとえば「大航海時代とルネサンス」というサイトに引用されている大航海時代叢書の記述によると
「1499年ヴェネツィアで1キンタル(46キログラム)の胡椒は80ドゥカード」とある。
http://www.geocities.jp/yamada_1817/oversea/se/se_1490/1498_p.html
ドゥカート金貨は重さ約3.5グラムでほとんど純金なので
胡椒46000グラム≒金280グラムとなり、
同重量の胡椒は金の約160分の1価値ってことになる
特定の国と時代で胡椒の価格が2倍とか3倍とか暴騰することはあったかもしれないが、
とても金と等価まではいかないだろう。
以下続く
重量ベースで100分の1の価値もないのか・・・考えてみりゃ
胡椒何キロの相場が金貨何枚だったって資料が無いと、金と胡椒が
同価値なんて話、信憑性が無いな。でも探しても出てこなそう。
現代人で加工前の生肉がどんだけ臭いか知っている人間は少ない。
だから臭み消しというと、自動的に「古くなった肉」のことだと思いこんでしまう。
「肉の保存」云々という話もそこから派生したものだろう。
生活スタイルの変化が俗説を生む土壌になってるパターンもあるわけだ。
大航海時代直前らしいが、以下のサイトによると、
http://www.economics.utoronto.ca/munro5/SPICES1.htm
1438-1439年の英国内における1ポンドの胡椒の価格は
オクスフォード:12.75 スターリング・ポンド
ロンドン:18.03 スターリング・ポンド
(多分元文献はJames E. Thorold Rogers, A History of Agriculture and Prices in England,
vol. IV: 1401 - 1582 (Oxford: 1882).)
当時の1ペニーは銀0.97 gに相等し、1スターリング・ポンド = 240 ペンス ≒ 銀 232.8 g
12.75 スターリング・ポンド ≒ 銀 2968 g ≒ 銀 6.54 ポンド
18.03 スターリング・ポンド ≒ 銀 4197 g ≒ 銀 9.25 ポンド
当時は金と銀の価値の比率は9:1らしいので、
オクスフォード価格では1ポンドの胡椒は 0.72 ポンドの金の価値があり、
ロンドン価格では1ポンドの胡椒は1.03ポンドの金の価値があることになる
>>371は完全に計算間違いで、
よく見たら価格は「スターリング・ポンド」ではなくて「ペンス・スターリング」
つまり、>>371の価格は正しくは1/240で、
オクスフォード価格では金1ポンドは胡椒333ポンド
ロンドン価格では金1ポンドは胡椒233ポンド
に相当し、帝政ローマ時代よりも安くなっている
http://www.gcpdb.info/custom.html
イングランドにおける胡椒の相場はかなり変動していて
1212年:胡椒1キロ≡銀17.2グラム
1351年:胡椒1キロ≡銀63.8グラム
1372年:胡椒1キロ≡銀98.8グラム
1412年:胡椒1キロ≡銀83.7グラム
1446年:胡椒1キロ≡銀13.8グラム
1490年:胡椒1キロ≡銀15.4グラム
1500年:胡椒1キロ≡銀37.7グラム
1510年:胡椒1キロ≡銀17.1グラム ポルトガルの参入による価格下落
1562年:胡椒1キロ≡銀66.4グラム ポルトガル船の沈没の影響
1572年:胡椒1キロ≡銀11.4グラム 社会不安で価格下落
1599年:胡椒1キロ≡銀59.8グラム オランダ商人による価格つり上げ
1655年:胡椒1キロ≡銀8.14グラム
1700年:胡椒1キロ≡銀21.0グラム
1750年:胡椒1キロ≡銀20.7グラム
1800年:胡椒1キロ≡銀24.9グラム
一番値段が高い時で、同じ重さの銀の1/10の価格、
金に換算すると同じ重さの金の1/90の価格で、金と同等の価値からは程遠い
一番値段のはる長胡椒の場合、
1リーブラ(328.9 g)の長胡椒が15デナリウス
プリニウスの時代のデナリウス銀貨の銀の含有量は3.4 gなので、
15デナリウスは銀約51グラム≒銀0.155リーブラに相等
ローマ時代の金と銀の貨幣価値の比率は12:1だったそうなので、
1リーブラの長胡椒は1/77リーブラの金に相等・・・
イスラムとヴェネツィア商人によって胡椒の貿易が独占化された
中世の方がローマ時代よりも圧倒的に胡椒の末端価格が高かったことが判る
このなかで一番胡椒が高かったのが13世紀のフランスで72分の1。
同価値とかとんでもねー話。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/Z052.htm
なんらかの慣用表現が誤解されて英語圏で蔓延したんじゃないかという気がする
英語だと"worth its weight in gold"自体、「値千金」みたいな慣用表現で、
文字通りの意味ではないらしいし
金と同価値云々の部分に要出典タグが付けられたね。
さてはて出典が見つかることやら・・・楽しみだ。
ネットでは金と同価値の出典としてプリニウスの名前が
ちょいちょい見うけられるけど。どうなんだろうね?
たしかにそう紹介しているサイトがあるね。
だけど同じサイトに書かれている1世紀ローマの胡椒の価格を見ると(320gが1万円)
重量で比べた価格は、金の百数十分の一って見当になる。
http://homepage3.nifty.com/onion/labo/pepper.htm
プリニウスの言っているのはあくまで比喩の域を出ないのではない?
プリニウスが高価さの比喩として「胡椒はまるで金のようだ」と記述。
そこを出発点として時代を超えた伝言ゲームでいつのまにか
「かつて胡椒は金と等価であった」になっちゃったんでないかと。
中世に税金や結納金として貨幣の代わりに胡椒が扱われた
歴史があればなおさら、元が比喩であったことは忘れられて、
過去の胡椒の相場の話として広まってしまっても不思議じゃないと思う。
・ノストラダムスは、ペスト対策に鼠退治や消毒などの先進的な医療を持ち込んだ。
・ギロチンを発明したのはギヨタンであり、彼自身も後にギロチンで処刑された。
・馬鹿の語源は秦の趙高の故事であり、阿呆の語源は阿房宮である。
・日本で最初にラーメンを食べたのは徳川光圀である。
・東郷平八郎が、ビーフシチューを作らせようとして生まれたのが肉じゃがである。
・ヨーダのモデルは日本人の依田さんである。
・アンパンマンOPの歌詞は、特攻隊員であった作者の弟を意識したもの。
俗説というか、古い説
・「百合若大臣」伝説は、西洋の「ユリシーズ」伝説が伝わったもの(坪内逍遥説)。
・ギリシャのパルテノン神殿の柱のエンタシスが、法隆寺の柱の原型(伊東忠太説)。
・「厩戸」皇子の名は、ネストリウス派キリスト教の影響を受けたもの(久米邦武説)。
疑いあるもの
・仏教公伝は、538年のことである。
23: 世界@名無史さん 2012/09/18(火) 22:01:27.36 0.net
みたいな状態だと思ってたけど違うの?
聖徳太子
本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。また、母が実母である蘇我小姉君の実家、つまり叔父・蘇我馬子の家で出産したため、馬子屋敷が転じて厩戸と付けられたとする説や、生誕地の近辺にある厩戸という地名から名付けられたとする説もある。
「厩の前で生まれた」、「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」(受胎告知)などの太子出生伝説に関して、「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教のネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者(久米邦武が代表例)もいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子
エンタシスの件といい、井上章一先生の御本でも否定的見解が提示されてい
たと思いますが、当時こうした説が出されていたことには、時代背景が影響
していた面もあります。
西洋と日本に前近代から類似・関連性があったという説が流行しており、騎
士と武士、プロテスタントの「鎌倉新仏教」の類似などもその内。
今では、厩戸皇子の話も元々東アジアにあった伝承・習慣で説明がつくであ
ろうと考えられており、「鎌倉新仏教」の勢力も実際には旧仏教に対抗・凌
駕しうるものではなく、「旧仏教」も以前から庶民教化の道筋をつけていた
と考えられています。
旧仏教・新仏教の対立は、戦後の「支配者の道具の宗教が、民衆救済の宗教
に凌駕され、衰退した」という、左寄りの史観から見ても都合がよかったた
め、実証より先に支持された面があります。
>>33
小野小町も、少なくとも鎌倉時代までは風流心のある歌人としての評価でし
たが、古の衣通姫と「歌の傾向が」似ているというので、美人扱いされるよう
になったようですね。
古墳からローマで作られたガラス玉出てたよね。
仏教伝来の頃にはヨーロッパの情報も入ってきても不思議はないと思うんだ。
国王の国外逃亡失敗と思い込んでいる人は今でも結構多い。
フランス人にしてからそうだから、ベルばらしか知らない日本の婦女子が
そう思うのも無理はないが
識字率というのもピンからキリまであるもので、漢文を読めるか読めないか
読めてもそのまま読めるか読み下して読めるか、読めても書けるか書けない
か、候文はどうか、漢字が書けるか、名前だけでも書けるかで異なるのです
が、現代では十把一絡げに「識字率」になりますね。
今のイメージで捉えて誇るのも、問題があります。
>>32
手塚治虫先生の『ブッダ』は色々と原典から乖離した作品ですが、あれの影
響でしょう、「スジャーターが飢えていたブッダに乳粥を施して苦行を止め
させた」と考えている人が多い。
『聖☆お兄さん』でもそうなっているように見えましたが。
実際は、「苦行を止めて落ち着いていたブッダ(当時はまだですが)の前を、
樹神に男子を請うて願いが叶ったので乳粥を供えようとしていた人妻スジャ
ーターが通りかかり、これは樹神だと思って乳粥を供養した」話です。
樹神に子供を請うという習慣は、他の仏典にも出て来る。
34: 世界@名無史さん 2012/09/22(土) 00:40:06.99 0.net
一般的には寺子屋の普及やさまざまの出版物、貸本文化、庶民の日記や手紙類から、
かなり識字率が高かったと言われている。
しかし、明治以降でも女子の就学率や識字率が低いデータを見たことがある。
昭和になっても読み書きできない老人がいたんじゃないかな?
だから、江戸庶民の識字率の高さは少し割り引いて考えた方がいいと思うようになった。
平成を迎えた時点でも、90歳台以上ならかなりいたと思います。
田舎の貧農出身で字が読めないという例は、私の周囲にもありました。
江戸・東京在住なら、かなり高かったでしょう。
・1776年、アメリカ合衆国で公用語を決める投票があり、一票差でドイツ語
が敗れて英語の公用語化が決まった。
ユダヤ=ハザール起源説というのはよく反イスラエルの人が言及されますが
定説というわけではありませんね。
47: 世界@名無史さん 2012/09/25(火) 13:41:31.67 0.net
出典と根拠は何だろ?
天然痘の毛布
北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もある。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとした。19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。モンタナ州のブラックフット族(英語版)などは、部族の公式ウェブサイトでこの歴史を伝えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/天然痘
が教皇に送った手紙がペスト患者の死体の上に置かれたものだったとかいう
話を思い出しますね。
でもそんな一次資料がどっこにもないの
こんなのはどう?
天然痘入り毛布をインディアンに渡す計画について、イギリス軍司令官ヘンリー・アマーストが
承認を与えたとことが、部下との書簡のやり取りで明らかになっている。
http://www.nativeweb.org/pages/legal/amherst/lord_jeff.html
よってこれは俗説ではなく歴史的事実なので、このスレの対象外だろう。
天然痘ウイルス発見より先の18世紀に天然痘を兵器として利用するなんて天才だなw
コッホの細菌発見よりずっと古い。
毛布になにが入っているのかすら当時のイギリス軍は知らなかっただろ。
そりゃどういうボケツッコミね。
酸素が発見されて燃焼の原理が分かる18世紀よりはるか前から、
人類は火を使い銃を撃ち大砲をぶっぱなしてきただろ。
兵器として使うにあたっては行き当たりばったりの経験則だけで充分で
別に天才は必要とされない。
復讐のために、娼婦に梅毒を移してもらって、
奥さん→ジェームズ2世→公爵夫人(アン・ハイド)の順に感染
おかげでメアリー2世もアン女王も梅毒患者の子として生まれて、
体が弱くてまともな子を産めなかったという俗説
これも「細菌兵器神話」に入るのだろか・・・
それガセって聞くけど不思議発見でもっともらしく「ほらこの落書き」みたいに見せてなかった?
勿論本当は何が書いてあるのかは不明、古代エジプト文字なんぞワシャ読めん
シュメールと古代エジプトは本当。ガセでもなんでもない。
ローマの方は文献のソース確認してないから知らん
62: 世界@名無史さん 2012/09/28(金) 22:56:20.93 0.net
それがすべてではないが。
ジャガイモが普及している地域と普及が進まない地域でむらがあるが、
普及している地域だけが増加しているわけでもない。
サツマイモが日本に導入されたのは江戸時代ですが
江戸時代は日本人口の停滞期です
江戸の初期と後期で2倍になってる。
ではもう少し詳しく見てみようか。サツマイモが日本国内で奨励され普及しだしたのは江戸時代中期、
享保の改革(1716年~1745年)頃からだが(青木昆陽が『蕃藷考』を著したのが1735年)、
そのごろの日本の人口推移を幕府の人口調査で見ると次のような感じだ。
享保年間以降、人口は横ばいどころか減ってさえいるのがわかる。
1721年 26,065,425
1750年 25,917,830
1780年 26,010,600
1804年 25,621,957
(出典Wikipedia)
実際には人口の増減にかかわるパラメータはゴマンとあるから、イモだけに着目して人口との因果関係を
論じることは不可能。安易にそうであるとかそうでないとか断言する方が俗説。
さつまいもが感謝された資料はいくらでも出せるけど?w
これ全部でっち上げ?
さつまいも感謝されたことと、その普及によって人口がいかに増減したかは全く別の問題。
ナポレオンが英雄視されたことと、彼の行動によって人口がいかに増減したかも全く別の問題。
理解できるかな?
薩摩芋には人口を減らす効果があるということですね。わかります。
こんなスレがあったのか
上の方でサツマイモ云々の話があるけど、江戸時代の人口に関して言えば、
薩摩藩(薩隅日三ヶ国のみ)の人口:
1636年:30万2021人
1706年:45万7806人
1772年:62万3627人
1871年:72万7634人
幕府掌握の領民人口の変遷
西海道:307万4829人(1721年)→346万8045人(1846年)
南海道:215万6379人(1721年)→256万5745人(1846年)
山陽道:265万7695人(1721年)→302万8359人(1846年)
山陰道:126万3340人(1721年)→148万7122人(1846年)
--------------------------------------------
陸奥:196万2839人(1726年)→160万3881人(1846年)
日本全国:2606万5425人(1726年)→2690万7625人(1846年)
日本全体で見ると人口変動はほとんどないけど、地域別には人口変動の格差があり、
少なくとも薩摩芋が広く栽培されていた西日本では人口増加が進んだ。
一方米に偏重気味の陸奥では宝暦・天明・天保の飢饉で大幅な人口減少。
西国の雄藩が多い理由がわかるね
じゃがいもが東北で普及してたら
維新の形勢も変わったかもね
つまり米の取り立てが厳しくても隠れて作れる。
自分の食い分を自分で作るなんて豊作の時の笑いの止まらなさは尋常じゃなかったろうな。
生活の安定とノルマを倍達成した営業マンの心境。
きっと肩で風切るイケイケの人生だよ。
意外かも知れんが、だから日本で導入しようとしても青木昆陽とかも相当失敗した。
荒地とかの地力のない土地への適性は強いが気候的に寒いとダメなの。
日本の場合だと江戸時代とかは西日本では割とスムーズに普及したが
東日本ではほとんど導入がうまくいかなかった。
あと、世界に本格的にサツマイモが普及したのは
明治の中頃に日本でサツマイモの品種改良が成功して甘味が強い品種が獲れるようになってから。
それまでは旨味がないパサついたイモといった感じで救荒食物ではあるが農民に人気がなかったの。
だから『サツマイモが江戸時代を救った』とか言うのは過大評価です
フォークの背にライスを乗せて食べるのは間違い
という説明。
鬼の首を取ったように、海外ではそんなことをしないと得意顔で語っている
テレビとか雑誌の記事を見ると、アホかと。
作法としてどうなのとその頃あんまり思わなかった
今はさ、多少勉強つうの、土台スプーン、フォーク文明は19世紀位でないの
だから文化へちまないんだよ、ブルボン王朝華やかなりし其処だって手つかみで
王侯貴族が食っていた、それほどにだから気にせず、ご飯を食う時はフォークを
右に持って箸感覚であやつっている
フォークは武器だから、歯を上に向けてはいけない、
というのと、いちいち持ち替える手間が無い
という2つの意味があるかと思う。
これも結構怪しい。ルイ14世が手づかみで肉をかぶりついていたという話からで、
王侯貴族の普通の作法なら、いちいち驚いて記録しなくても良い。
ルイ14世以外の例がない。
出典も不明。
なのに何故か非常に有名。
出てきてたな、直接かぶりついていたよ、あれね、すっげえ大長編なの
だから幾度となく食うところは出ていたはずだ
小説w
デュマの小説だけど当時の時事風俗がかなり反映されてて結構勉強になるよ。
モンテクリスト伯とかが面白くて為になる
「手についた油などをなめてはならない」というのは思いつくが
> 手づかみだとどういう作法が発達するのだろう?
> 「手についた油などをなめてはならない」というのは思いつくが
例に挙げると、
手掴みなので指がべとべとになる
↓
指がべとべとだと胡椒を沢山取ってしまう(昔は胡椒が貴重品だった)
↓
『皆さん、私は小指をいつも綺麗にしてますよ』的な仕草(スタイル)が模範的になった
↓
『小指を立てるのが紳士の嗜み』
↓
日本にも大正くらいから西洋のそういう風習が伝わる
↓
高度成長期ぐらいにオカマっぽいインテリ野郎(スノッブ)のやる行為だと日本で誤解されて広まった
俺の知ってる限りの知識
258: 世界@名無史さん 2012/11/02(金) 23:25:43.25 0.net
敵性語って戦後の作家が作り出した神話な
野球も普通にアウトとかセーフとか使ってた
小林信彦だったかが敵性語が禁止だったみたいな偽史を正そうみたいな運動してて
当時のフィルムとか本とか集めてた
というより統治する必要があったから将校以上はしゃべれた
(末期の無理から将校は別だけど)
米軍のマニュアルにも将校以上を通訳に使えって出てくる
当時の日本兵は今みたいに外人との会話に臆したりしないしね
敵性語
敵性語(てきせいご)とは、敵対国や交戦国で一般に使用されている言語を指した語。敵声語と当て字されることもある。
特に日本では、日中戦争から第二次世界大戦中にかけて敵性国・交戦国となったアメリカやイギリスとの対立が深まる1940年に入ると、英語を「軽佻浮薄」(けいちょうふはく)と位置づけ、これが精神論的に「敵性」にあたるものだとして排斥が進んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/敵性語
実際にそうなっていたかというとそうでもない。
わだつみとかカタカナいっぱい。
ジャズもすべて禁止されていないし。
前線に視察にきたえらいさんに説教されたとかなんとかという話もある。
> 敵性語って戦後の作家が作り出した神話な
は明確なウソだよ。徹底していたかどうかはともかく、運動の存在その
ものの否定ということになるとね。
余り徹底されていなかったというのが正しい。
ちなみに戦時中でも中学では英語を教えていたけど、
女学校では一時的に選択科目になった。
ソースは当時実際に女学校で英語を教えていた祖母
てかこういうのは神話とは違うだろ
全ての分野で適用されたとか、完全に徹底されたとか言ったら神話だけど
「ムッソリーニ伝」とか「クオレ」とかで、
前書きにもこのような状況では、国民の意識を高めるのが必要であり、
「クオレ」に書かれている愛国心でもって云々とあり、
英語の関係者も題材選びに苦慮していたのが伺える。
いまの猫も杓子も大学生になれるのと違って、戦前の大学は「エリート養成機関」
ほんとにひと握りの人間しか大学に行けなかった時代だ
一般人は帝国大学の学生の襟章を見てひれ伏すほど、と言ってしまえば大げさだが、
それらの学生たちの将来は「高級将校or高級官僚」と決まっていたんだから、無下にはできなかったわけだ
そういったエリートたちだから英語を学ぶことも「許されていた」わけで、
一般人が英語の辞書なんか持っていたら、隣組の連中に吊るし上げにされていたのが事実
>一般人が英語の辞書なんか持っていたら、隣組の連中に吊るし上げにされていたのが事実
さすがにそれは一部の地域限定でしょ
自分の祖母は大戦中もずっと英語の教師をやっていて、
夜中は竹槍をもって徹夜での空の監視というのを近所の人たちと交代で行っていた。
あと帝国大学とかそういう大げさなところでなく、男子の行く中学でもずっと英語教育は行われていた。
めちゃくちゃラベルが英語だらけだぞ。
266: 世界@名無史さん 2012/11/07(水) 21:25:38.62 0.net
兵器・天文・錬金術・数学・土木・解剖学にも優れていた。ヘリコプターも
戦車も発明した世紀の天才。いや人類史上最高の天才だったw
しかも世界最高の美男子だったらしいw
レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルドの名声は生前から一貫しており、フランス王フランソワ1世がレオナルドをまるで戦利品であるかのようにフランスへと連れて行くほどだった。フランソワ1世は最晩年のレオナルドを支え、レオナルドはフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという伝承が残っている。レオナルドに関する世間からの関心は、その後も衰えることはなかった。現在でもレオナルドの有名な美術作品を観るために大衆が列をなし、Tシャツにはレオナルドの絵画がプリントされ、作家たちはレオナルドの驚くべき博学さとその私生活についての考察を書き続け、史上最高の知性を持った人物であるとみなされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ
それに対しミケ・ランジェロはお世辞にも男前とは言えない上に性格もあまりよろしく無く
罵詈雑言が酷過ぎたために悪口を言った相手に鼻の骨が曲がる程ぶん殴られて
余計に不細工な顔になってしまった。
ただ、口が悪いのはトスカーナ人の特性で、レオナルドも相当に口は悪かったようだ。
俗説を水増ししちゃってるっていうね
ヴァザーリはミケランジェロに師事してたからなぁ…どうしても贔屓してしまうんじゃなかろうか
俗説といえば、ダ・ヴィンチ・コードはひどかったなあw
例えば?
そこででっかい嘘をつかないと、ミステリーにならない。
強度が足り無いことが判明。
ダ・ヴィンチは絵画以外は、実現不可能なアイデアマン。
別に彼を持ち上げるつもりは無いが、新しいものを考案して、
その設計通り作って一発でうまくいくことなんて、まずありえないし。
289: 世界@名無史さん 2012/11/22(木) 16:39:12.87 0.net
その程度のもんではダ・ヴィンチの業績をくさすことはできない。
オリハルコンができれば、紙のような薄さでも十分に耐久性があるわけだし。
オリハルコン
オリハルコンは、古代ギリシア・ローマ世界の文献に登場する、銅系の合金と考えられる金属である。最も有名な例としてプラトンが『クリティアス』の中で記述した、アトランティスに存在したという幻の金属が挙げられる。
プラトンのアトランティス伝説におけるオリハルコンは、武器としては使われておらず、硬さ・丈夫さよりも、希少価値が謳われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/痔
オリハルコン自体が俗説の中の物質って気がするが
>>289
当時入手できる素材で、実験してみたら実現不可能が判明。
設計通り作って一発でうまくいくことなんて、まずありえないが、
ダ・ヴィンチは、重量を考慮にすらしていないで設計していることになる。
実権好きのダ・ヴィンチがw
黄金色に輝く加工しやすくて金に次ぐ価値のある合金 って記述が有名だが、
古代で精錬可能で算出しやすくて扱いやすいとくりゃ 金か銅
プラチナは希少すぎるし精錬が難しいし形容が違う。
オカルトや伝奇ロマンとかだと超硬度をほこるオパーツみたいな扱いになってるが、
化学(精錬技術)的な見地からいくと精錬しやすい合金ってのは限られてくるから
ミステリーの紐解きは難しくないんだよな
あくまでも装飾品としての価値が謳われているのであって、
日本のRPGに登場するような「オリハルコンの剣」みたいな記述は皆無
水を掛けるとかえって燃え広がるとされる謎の兵器の正体を明かそうぜ
そいつは、いわゆるギリシャ火薬ってやつだな
おそらく原油から精製されたナフサを原料として硫黄や松脂を配合したと推測されてる。
危険物取扱や消防の基礎知識があるやつなら知ってると思うが、
ある種の油火災だと消化に水使うと油分が逆に拡散されてしまって火がかえって散ってしまう。
ナフサだけだと揮発して使い物にならないからある程度の粘性持たせながら
(粘性があると標的にまとわりついて絡みつき火炎効果が高まる ex ナパーム弾)
硫黄や酸化化合物なども配合しているのだろうな
あと、アルカリ金属類も水と激しく反応するからその点はどうなだろうな
308: 世界@名無史さん 2013/01/05(土) 00:17:52.71 0.net
http://labaq.com/archives/51086181.html
・コロンブスが地球が丸いことを発見した
・アインシュタインは算数で落第した
・ニュートンとリンゴ
・ワシントンと桜の木
・ベンジャミン・フランクリンの凧と雷
>ニュートンはリンゴについて述べたことはない
ほれ
NHK高校講座 運動の科学史④ニュートン
http://blog.goo.ne.jp/wr5koobc/e/25f6b864deed8248e7068c8e5b92d058
さて、「りんごが落ちるのを見て・・・」というのは本当の話なのでしょうかピサの斜塔の実験のように、作られたエピソードではないのでしょうか・・・。
これは明確な記述があって、1752年にウィリアム・ステュークリが書いた「アイザック・ニュートン卿の生涯についての回想録」の中には、1952年ニュートンが83歳の時に語った話が収められています。
この中には、間違いなく「自分の生家の隣のりんごの木からりんごが落ちるのを見て、万有引力の法則を思いついた」とあります。
ニュートンとリンゴ
スタックレーの著書『回想録』には、スタックレーが、ニュートンが死去する前年の4月15日にロンドン西方の彼の自宅を訪問した時、昼食をともにしたあと庭に出て数本のりんごの木陰でお茶を飲んでいたところ、話の合間にニュートンが「昔、万有引力の考えが心に浮かんだ時とそっくりだ。瞑想にふけっていると、たまたまりんごが落ちて、はっと思いついたのだ」と語った、と書いてあるという。(ただし、りんごの逸話はしばしば伝説ともされることもあり、内容の真偽のほどは確かではない。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/万有引力
355: 世界@名無史さん 2013/03/25(月) 11:53:20.06 O.net
孫子読まなくても名将はそれっぽいことやってる
孫子は一般論とはちょっと違うと思うんだが
「最良の状態」を最初に著述することが多い
そこから、「敵も様々な手法を使ってくるから、必ずしもこうはいかないけどね」という感じで
「理想」から「実相」に落とし込んでいくスタイル
謀攻編とか分かりやすい
「戦わずして敵の兵を屈する」→「上兵は謀を討つ」→「小敵の堅なるは大敵の擒なり」
(上兵は謀を討つという最良状態から、最悪の擒となるケースまで落とし込んでいっている)
結構あれこれ特定条件つけたりすることも多く、それに応じる概念を説明したりするけど
不特定の条件で通じる概念や論説には触れたりしない
そういうわけで、孫子は実践するのが難しいわ
なお、よくある俗説で現代の「世界各国の士官学校」では「孫子」や「カンナエの戦い」が
戦史教育で未だに使われているという俗説があるが、少なくとも陸上自衛隊の
幹部候補生学校や防衛大学校等においては孫子は教えられていないし、戦史教育
でもカンナエなんかは教えられたためしがない
陸自では幹部学校(戦前の陸軍大学校)までいってもまともに「孫子」の講義すらないのが実情
百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也。
この一行だけでも理解していれば、あんな悲惨なことにはならなかった。
内政がうまくいってれば攻めこまれない…というのはまさに普遍的真理だなぁ
もっとも、明確にケンカ売ってくる場合は別だろうが
紀元前にそんな凄い戦略論産んどきながら……
476: 世界@名無史さん 2013/12/05(木) 16:08:04.45 0.net
というのが既に証明されてる的な俗説について知りたい
この説はルーズベルトは真珠湾攻撃を知ってたから
真珠湾奇襲は無罪である的な論調で支持されていることが多い
仮に知ってても奇襲が無罪ってことはあり得ないと思うが、
本当にルーズベルトは真珠湾攻撃を確かな情報で知っていたのだろうか
日本軍が奇襲を検討してて予測地点に真珠湾も入ってますとかレベルの話じゃなく
確か知っていた可能性も高いが証明までは至っていないってのが
自分の認識だったのですごい気になる
日本軍が何処かを攻撃することは分かっていた
ただ、真珠湾が目標だと知っていたのか知らなかったのかで米人も主張が分かれている
公式文書で公表されていなければ一切信じないというならこれいじょう何を言ってやっても無駄だ罠
満足したかい?
ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたことは正式に証明されている
っていっていいレベルで証明されてるのかどうか知りたかった
前レスでも言ったが、
ルーズベルトが知ってたっていう言説は
知ってたから日本が真珠湾を奇襲したことで非難されるいわれはない
という論調の中で登場することが多いし、そういう論調に繋がりやすいから
ナーバスにならざるを得ないと思ってる
別に公文書で書かれてなくても、当時の多くの人の話に登場するなら信頼するに足るけど
娘一人がただ言ってたレベルじゃ信憑性は薄いだろ
知ってたっつー話は一次資料レベルでどの程度登場してるのかが知りたいことなんだけど
俺の読んだ「暗号の天才」によると
フリードマンから真珠湾攻撃の情報は上にあがっていた
が、この情報を適切に使えなかったという話になってる
どの地位の人間がどのレベルで状況を把握していたかはイマイチ覚えてないけど
公聴会なんかも開かれていて、たしか誰も罪に問われなかったんじゃないかな
483: 世界@名無史さん 2013/12/07(土) 19:25:12.06 0.net
レイプしてから処刑した。
この出典と、事例ってあるの?
セイヤヌスの娘
セイヤヌスの処刑後その一派の粛清が始まった。セイヤヌスの長男や叔父のブラエススはすぐに処刑され、まだ幼かった次男と長女も絞首刑にされた。ローマでは処女を絞首刑に処することは許されていなかったので、長女は強姦された上で殺害された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルキウス・アエリウス・セイヤヌス
全く根も葉もないことを書けば同時代のローマ人からツッコミが入る。
自分の著作全部に信憑性の疑いを招く事になるから、著述家として根拠のないことは書けない。
同時代人でもないし、そもそも記述相手は記録抹殺刑受けてるわで、その意味でも
特段信憑性は高くない
いや記録抹消刑は公的記録や人目に付く墓石や肖像などを抹消するもので
あたりまえだが個人の私的記録や稗史までは消せないというか、やりようがない。
>>484に出てるようにスエトニウスも記述している
処刑されたものは一人残らず「阿鼻叫喚の石段」に投げられ長柄鉤でティベリウス川に
引きずられる。たった一日で二十人もの人々が投じられ、その中に女も子供もいた。
古来からのしきたりで、処女には絞首刑が課せられなかったので、成熟してなかった
娘は死刑執行人によってあらかじめ凌辱され、しかるのち絞め殺された。
―岩波文庫 ローマ皇帝伝上 P289
ちなみにスエトニウスは同時代人で当事者のテイベリウス帝の書いた「覚え書」に
『セイヤヌスを罰した理由の一つは息子のゲルマニクスの息子に対して凶暴に
振る舞ったから』とあるのに対して「だとしたら、息子2人の没年と合わねーじゃねーか
ウソ書いてんじゃねーよ、このボケが」とツッコミを入れているくらいだ。
つか、俺も世界史板長いがタキトゥスに対して「同時代人じゃないから信用できない」
と宣ったのは、おまえさんが初めてだわ
だから>>488の「他の資料に登場しない」は、「他の資料を知らない」が正しい。
しかし成文法としてローマ法の何処そこに書かれているというのはお目にかかったことがないので慣習法ではないかと思う。
いわば「親の世代」のころの話。
まして「阿鼻叫喚の石段」は罪人の死体をさらし者にした場所で
しきたりで殺されないはずの幼女が、なぜか転がされているのを
庶民から奴隷まで見ていた人は多いわな
なんという天国と地獄。
もしかするとスエトニウスも同じ書物から引用したのかもね。
タキトゥスの「年代記」すると「処女を絞首刑とか前代未聞だから」という理由による現場判断っぽい書き方ではある。
もっとも死刑執行人が、殺す前にレイプした事をそういうもっともらしい言い訳で誤魔化した、という可能性もあり得るが(個人的にはこれが一番ありそう)。
とりあえずタキトゥスが参照した同時代史の作者が、あることないこと吹かしてた、とかでない限り経緯はともかく事実としてはあったんだろう。
574: 世界@名無史さん 2014/08/07(木) 00:56:37.43 0.net
現実はむしろ悪化した
それにナイチンゲールは女が戦場くるのを嫌がる層に邪魔されまともに医療活動できなかった
そして従軍期間は短い
しかし彼女のとった統計データと衛生環境の悪さを指摘する報告などから
戦時大臣らの官僚が衛生改善策を実行させ、それにより死者が減った
この死者推移データは英国で長らく信じられてきた神話を否定するものとして21世紀になってようやく公式に発表された
ナイチンゲールといえば、当時の看護婦は売春婦や社会的な底辺の中の底辺層の仕事で
まわりから嘲笑われてたってほんと?
新興の職業は、評価対象外。タイピスト・電信・看護婦系
看護婦は、福祉・慈善系として、美徳グループと認識もされる
もう一方で、洗濯女・戦場の女とみなされ従軍売春婦と見なされる
つまり、評価は一人によりばらばら、とはいえナイチンゲール等により
評価が上がる。給料は上がらないがw
ムスリムの国の一部では、看護婦の夜勤は、売春をしていると見なされたり
するので、忌避があったりする。また看護婦の服装は、規範に違反している
と非難されたりする。
トータルで見てプラスであることに間違いはなかろう。
572: 世界@名無史さん 2014/08/07(木) 00:36:31.78 0.net
単に難しかっただけであった
鐙
鐙が出現するまで、騎乗者は両足の大腿部で馬の胴を締め付けて乗馬していた。姿勢は不安定で、馬の激しい動きに追従するのは難しかった。特に軍事目的で馬を利用する場合、不安定な姿勢で武器を使うのは極めて困難であり、それを行うのは特殊技能であり、幼い頃からの鍛錬が必要であった。
鐙が登場すると馬上で踏ん張ることができるため、騎士は敵に向かって突撃をすることができるようになり、騎兵の戦闘力は飛躍的に向上した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鐙
難しいと数揃わないから、勝負を左右するほどの戦力にはならないって解釈すれば、間違いともいえないんじゃないか
もちろん、上体をより自由に動かせる鐙があったほうが馬上で槍を扱うには便利だろうけどね
槍は振り回さず、重装騎兵の衝力にものを言わせ正面突破、みたいな
626: 世界@名無史さん 2014/08/27(水) 02:53:32.62 0.net
総人口1500万人のうち女性を除いて750万人、爺・ガキを除いた男性労働力が500万人と概算
50万丁となると、そのうち10人に1人が持ってる計算になるからなぁ
兵種にかかわらず、ほぼ全武士が1丁ずつ持ってるくらいの感じになるんじゃねぇ?
猟銃が異常に普及でもしてないと厳しいと思うが・・・いちおう誰かが計算した上での数字なんだろうけど
当然「予備」の銃も何丁か持ってるだろうし、城などに大量にストックしてるし
古い銃や猟銃もあるし
数字で見る米国の銃事情
http://www.afpbb.com/articles/-/2922331?pid=10142714
>■銃の数
・米国内で個人が所有する銃は約2億7000万丁で世界最多。
銃を所有する個人の割合も世界で最も高い。gunpolicy.orgによれば、
人口100人あたりの銃の所持数は88.8丁に上っている。
そうすると、500万*0.9で450万梃。すごすぎw
戦国時点で大量ストックはできなさそうな気がするけどどうなんだろう
硝石は、すでに戦国時代から国産化されていた。
五箇山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%E7%AE%E5%B1%B1
>戦国時代から江戸時代には、塩硝(煙硝)製造の歴史がある。
石山合戦(1570年(元亀元年) - 1580年(天正8年))の織田勢との戦いにも
五箇山の塩硝が使われた。また、黒色火薬自体を製造していたとされる。
日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製造されていたが、
五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)と、
蚕の糞などで製造する「培養法」を使って、より多くの塩硝を製造した。
硝石は利尿剤として漢方薬で使われいたから
もっとも、取れるのに時間がかかるので戦時などで大量に必要になるときは
輸入したんだろうが
あと黒色火薬で必要な物は炭・硝石・硫黄だが
火山国日本は古来より硫黄の大産地で中国などに輸出していた
ヨーロッパ・アラブでは火山帯はイタリア半島、アナトリア半島など地中海東北岸しかなかったので
ヨーロッパ・アラブでは硫黄が手に入りにくく火薬の生産に苦慮していた
そういう面で日本は恵まれていて鉄砲の数が増えたのかもね
ネタ元は中央公論社が1970年代に出版した本「鉄砲を捨てた日本人」(原本、文庫本ともに絶版)
「…今日もそうだが、日本は当時も優れた工業国であった。…日本で、もっとも大量に製造されていた物がなにかというと、
それは武器であって、二百年ぐらいは世界有数の武器輸出国であった。日本製の武器は東アジア一帯で使われていた。」(p38-39)
「少なくとも鉄砲の絶対数では、十六世紀末の日本は、まちがいなく世界のどの国よりも大量にもっていた。」(p63)
「たとえばイギリス軍全体をとってみても、その鉄砲所有数は、日本のトップの大名六名のうちどの大名の軍隊と比べても少なかった。
…1569年イギリス枢密院がフランス侵攻の際に動員できるイギリス全体の兵隊と武器の数を決定すべく総点検を行った時のことだ、
…フランス大使はスパイを通じてその情報をつかみ、「機密にされている兵隊の集計値」は二万四千、そのうち約六千の者が銃を
所持している、とパリに報告した。」(p160-161)
「1584年、…戦国大名の竜造寺隆信が島原方面で有馬晴信・島津家久と対戦したが、率いていた軍勢は二万五千、
そのうち九千が鉄砲隊であった。…」(p162)
作者は元GHQ将校でアメリカ・ダートマス大学教授ノエル・ペリン
原書Giving up the Gun: Japan's Reversion to the Sword, 1543~1879 (1979)
Noel Perrin
http://en.wikipedia.org/wiki/Noel_Perrin
あらま、海外発だったのね
50万丁って数字はネットにゴロゴロ転がってるけど、大体Wikiを参照してる感じ
んで、Wikiのほうは
> 戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となる[10][11]
ということで引用されてるのが、>>661のペリンの本(日本語版が[10]、原著が[11])
なのでこの本に50万という数字の記載があるんだろうが、まず読んでみないとどういう方法で推計してるか分かんないね
714: 世界@名無史さん 2014/09/27(土) 12:17:31.45 0.net
こういう反応してくれると、偽書作るほうもやりがいがあるだろうなあ。
アとエの間違いで偉いことになってるな
>この書物ではさらに、イスラムの預言者ムハンマドの出現が予言されています。
聖書の年代研究の前例に即するなら、ムハンマドの登場以後の文書扱いされそうだ
1500年前と断定してるのは炭素測定とかなのか、それとも地層判定なのか
そんな時代に(自称)イエスの弟子が書いた本ねえ……。
ってのは真実かどうかはともかく、面白い仮定だな
色々妄想できる
死んでない、復活してない、預言者ってのは知ってるが
日本人には常識の範囲だな。イエスの墓まであるんだから。

従来の福音書でも十字架上の「イエス」が急に弱気な発言をしたりする
不思議なくだりがあるが、替え玉ならあっさり説明がつくね。
それどころか、磔で絶命したイエスが何日かして弟子に合ったりする、
事実としては到底信じられないイベントも、十字架に掛けられたのが別人なら容易く可能になる。
逆に言うと、四福音書の記事を事実と取るなら、オカルトじみた復活の奇跡を事実と
言い張る必要が出てくる。
誤認している歴史上の事実のが一般的な意味で使われる俗説なような・・・
万世一系の皇紀2600年とか檀君朝鮮半万年を俗説って言うか?
ただパウロ書簡は真筆で、ペテロやその他使徒と会っている(=実在している)ことがわかる
彼らの存在、および彼らの話すイエス像を全てパウロの妄想ワールドに帰結させることも可能
ただ、それで済ませてしまうには話が込み入りすぎているとWiki先生がのたまってる
742: 世界@名無史さん 2014/10/17(金) 20:21:22.61 0.net
実はグレゴリーが反射望遠鏡の発明者
・・・というのも俗説。
天体望遠鏡
従来日本ではアイザック・ニュートンが反射望遠鏡の発明者であるとして奉られることが多かったが、正しくは反射望遠鏡の発明者はグレゴリーであり、ニュートンはあくまでも「ニュートン式の考案者」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/天体望遠鏡
こういう情報はすぐに劣化して、反射望遠鏡の発明者になってしまうんだな。
自動織機の発明者は豊田佐吉とか言い出すのもこの例。
その分野に興味が無いと、それを信じたまま大人になるね。
普通ワットは、(ニューコメン式)蒸気機関の改良者として紹介されるだろ
俺が7-8歳のころ読んだ漫画世界の偉人みたいなのさえ、2ページ分なのにそこはブレてなかったぞ
760: 世界@名無史さん 2014/10/21(火) 21:31:50.77 O.net
「革命前のフランス人は風呂に入らなかった」という話も実は俗説だと聞いた。
・ルイ14世は温めた湯を風呂桶に運ばせて入浴していた。
・ルイ15世が真似して風邪引いたので風呂にお湯の出る蛇口を作らせた。
・宮殿のアパルトマンには風呂が無いのはボイラーの容量不足のせいでヴェルサイユの街中には貴族向けの風呂屋があった。
…など、クセジュ文庫を何冊か拾い読みすると、確かにそんなことが書いてある。
実際にはどうだったんだろうね。
風呂無しアパートに住んでて町の銭湯通ってたのか。
随分庶民的な貴族だな。
アンシャンレジーム後だけど、ナポレオンもね。
酒場も上流から貧民までいくつものランクがあるけど風呂屋もそうだったのかも
どうもいかがわしい風呂屋を連想してしまうな
君はスーパー銭湯やヘルスセンターを想像したまえ。「高級な公衆浴場」のイメージが掴めるだろう。
中級 温泉再度沸かし
低級 大衆浴場
775: 世界@名無史さん 2015/01/02(金) 18:11:01.93 0.net
嘘つかない人間なんて存在しないよ
和平と偽ってだまし討ちにしたとかいう話は聞かないな。
インディアンはもっぱら白人に騙されてばかり。
我々はウソをつかなかったと言う資格がインディアンにはあると思う。
汚い白人と出会ったことで嘘をつくようになってしまった
という論理で納得できると思う
793: 世界@名無史さん 2015/02/08(日) 03:27:01.36 0.net
「倭」は蔑称というのは俗説で何の根拠もない
と中国の文献学者さんが言っている
http://salon.gooside.com/wakao.htm
「倭」の本義考――あわせてその意味変遷を論ずる――
> この「倭」という文字について,まず,現在見られる一番古い文字である甲骨文字と金文を調べてみたが,
結局見つからなかった。最も古いものは,『詩経(しきょう)』(紀元前11世紀~紀元前476年の詩)「小雅(しょうが)」
「四牡(しぼ)」の「周道倭遅」という詩句に見えるものである。この「倭遅(いち)」とは単独で意味をなさない
連綿詞として,回って遠いさまをいう。これは貶す言葉ではない。
次に春秋時代(紀元前770年~紀元前476年)において,倭は人名用字として使われていた。魯国の国王である
宣公は倭(わ)と名乗っている。魏晋南北朝時代において「倭堕髻(わだけつ)」というヘアスタイルがあったようである。
『楽府詩集(がふししゅう)』「陌上桑(はくじょうそう)」にも「頭上倭堕髻,耳中明月珠」とある。また「倭妥(わだ)」という
美しさを描写する語彙もある。明代の著名な劇作家湯顕祖(とうけんそ)の有名な『牡丹亭』には「娉停倭妥」とある。
さらに中国史上において漢語以外の地名・物産名などの音訳として,倭はよく使われている。例えば,河川名としての
倭肯河(わこうが)(吉林(きつりん)省宝清(ほうせい)県に源を発する)と倭西們河(わせいもんが)(黒竜江省呼瑪(こま)県を
経由して黒竜江に注ぐ河),地名としての倭赤(わせき)(新疆ウイグル自治区の県),物産名としての倭瓜(わか)(まくわうり),
などである。
以上で見てきたように,「倭」という文字は,それぞれ発音が異なるにもかかわらず,いずれもけなす意味に用いる
言葉ではないことがわかる。この点については,大昔から中国側の辞書も日本側の辞書(例えば諸橋轍次『大漢和辞典』,
白川静『字統』など)もともに明らかに示している。もちろん辞書において,伝説中の醜い女をいう「倭傀(いかい)」という
言葉があるが,それは「人偏+此と人偏+隹(ひき)」の仮借字であって,そして「倭遅」と同じように連綿詞であり,
単独の一文字だけでは独自の意味を持たないものである。
倭
中国の古代史書で、日本列島に居住する人びとである倭人を指した。
説文解字では、日本の意であることに加え、「従順なさま。詩経に曰く“周道倭遟(周への道は曲がりくねり遠い)"。」と解説されている。 康熙字典によれば、さらに人名にも使用され、例えば魯の第21代王宣公の名は「倭」であると書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/倭
王 智新, 朱 建栄, 趙 軍: 『「つくる会」の歴史教科書を斬る――在日中国人学者の視点から』からの引用とある
この中で王智新と朱建栄は、大学が日本文学科出身で、
多分史学科出身の趙軍氏が分析したんだろうが、
専門は近現代史で、書いてる論文も全部近現代史だし、別に文献学者じゃないだろ
いつから倭が悪い意味だと思われるようになったんだろうか
日本だけは素晴らしい国だと知ってて正当に評価したってことなの?
それ根拠としては弱いな・・・悪字を名前に持ってた中国の君主は他にもいるし・・・
(前漢の武帝の名がブタってのは有名)
そもそも筆写するだけの人間が、文字の意味を全部知っていたかどうかも
保証の限りではないし・・・
日本国の「当て字」は、複数あったのだから、そういう議論自体意味がない。
そもそも、ワとかダイワとか訓じられていたわけではない。
というところから始めなきゃならないから面倒くさいな
ヤマタイとかヒミコの当て字の酷さを考えると相変わらず中国人の感性は発揮してたんだろう
倭自体はもっと昔からあった名前の転用か、高句麗あたりがつけた漢字なんじゃないの
高句麗の当て字センスとか知らんけど
837: 世界@名無史さん 2015/02/26(木) 06:26:45.79 0.net
北欧の某国に「東郷ビール」があるってのはデマだったんだね
東郷ビールは実在しますよ。
「世界の提督ビール」のシリーズ中の一つで
他に日本人では山本ビールがあります。

単に日本を代表する提督ってことなのね。
山本って権兵衛じゃなくて五十六だよね?
一独り歩きした歴史教材-
http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/036/36-r-002.pdf
まさか歴史教科書にまで載っていたとは・・・
これよく見たら、第3シリーズにはマカロフだけじゃなくロジェストヴェンスキーもいるね
同シリーズで山本を出すとき、日本とロシアで人数揃えとこうって配慮だったのかな
んで山本五十六については、東郷を日本に輸出し始めた1年後だから商売上の採用だろうなぁ
ニミッツでなく山本である必然性もないし・・・まぁ米国人提督は一人もいないけど
そもそも全シリーズを通して、半分ほどが北欧人で残りが英独蘭他とほぼ欧州人な中、
東郷がわりと初期に加えられたというのは、しょうもない俗論抜きでも少し目を引くな
日露戦争の日本の勝利とか、フィンランド独立とか、ぜんぜん関係なかったわw
面白おかしくしようとするだけでなく、勘違いや、世間体や時代や輸入先の国に合わせたなんてことも多いだろう
一番の戦犯は歴史小説家かな TVや教師なんかもそうだろうな
まあ古代からしてすでに俗説に溢れまくってるから、物語化や有名人の手柄に書き換えたりするのは人類のサガなのだろうか
1001: うしみつ 2032/3/2(火) 04:044:44.44 ID:usi32.com
韓国の最高級車が時代遅れな上にこれ以上無いほどダサくてワロタwwww
【悲報】女子が思うホワイトデーの理想的なお返し額wwwwwwwwww
村長「水辺は危ないから河童がおることにしよう」
ネットで拾った変な画像『ザ・日本地図』
元スレ:http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1347769086/
Comment
俗説はともかく、ジャガイモとサツマイモの品種改良に取り組んだことは評価する
最初の白ちゃん黒ちゃんで満足したから記事はいいや
ところどころに白ちゃんと黒ちゃんのコメントを混ぜると、スレ民が全部読んでくれる模様
※3
俺がいる
面白い!こういう記事大好き!
ナポレオンは1日に3時間しか眠らなかったと言う。一方で風呂に6時間も入っていたという逸話もある。すなわち………ナポレオン絶対風呂で寝てただろ!
っていう話を小説でよんだことがある
出てこい!
ウシロのシノブ!
「 そうだ、そうに違いない ! 」· · · · っで俗説が生まれるのです ♪
そういやうしみつだっけ。いきなり異端審問官さんがでてきてびっくりしたわw
山野って2000年以前から居たけどまだ現役なんだな
管理人さん乙!おもしろかった!
Reflecting on my progress this year and have decided I need to improve my mobility Generally it consists of foam rolling and stretching the body parts I’m about to workout, before my 10 minutes or I haven’t really put much outside effort into it yet, but want What do you do? Which exercises/stretches? Generally looking for a full body mobility routine intended for lifting weights/injury prevention/increasing Happy Holidays everyone, cheers!
She should have made Captain Phasma and thrown it in the trash
白ちゃんの半分は優しさで出来ています
つ 婚姻届け
白ちゃんの実印を押して下さい