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1: 名無しさん@おーぷん 2016/10/10(月)05:29:57 ID:IlA
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東海村JCO臨界事故
東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年9月30日、茨城県那珂郡東海村にある株式会社ジェー・シー・オー(住友金属鉱山の子会社。以下「JCO」)の核燃料加工施設で発生した原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。
1999年9月30日、JCO東海事業所の核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。国際原子力事象評価尺度 (INES) でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。
JCOでは1999年度に、高速増殖炉の研究炉「常陽」で使用される核燃料(濃縮度18.8%[注釈 1]、ウラン濃度380gU/リットル以下の硝酸ウラニル溶液、約160リットル)の製造を請け負っていた。1999年9月、まずウランの精製作業が中旬から28日まで行われ、翌29日より硝酸ウラニル溶液の均一化作業が始まった。翌30日、転換試験棟にてJCOの作業員たちが硝酸ウラニル溶液を沈殿槽に流し込む作業を行っていたところ、10時35分頃、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界状態となり警報が鳴動した。沈殿槽は言わば「むき出しの原子炉」の状態となり、中性子線は建物の外にも放出された。
JCO社員は事故当初、誰も事故を収束させようとする作業をしなかったが、「あなた達でやらなければ強制作業命令を出した後に、結果的にする事になる」と国からの代理人に促された結果、「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない」と同社社員らが18人を2人1組で1分を限度に現場に向かい、アルゴンガスを注入して冷却水を抜く、ホウ酸を投入するなどの作業を行い、連鎖反応を止めることに成功して事故は収束した。中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った翌10月1日の6時30分頃だった。
この事故では3名の作業員が推定1グレイ・イクイバレント以上の多量の放射線(中性子線)を浴びた。作業員らはヘリコプターで放射線医学総合研究所(以下「放医研」)へ搬送され、うち2名は造血細胞の移植の関係から東京大学医学部附属病院(東大病院)に転院し集中治療がなされた。3名の治療経過や本事故において被曝した者の経過などは、それぞれ以下の通り。

○16 - 20グレイ・イクイバレント(推定16 - 20シーベルト以上)の被曝をした作業員A(当時35歳)は、高線量被曝による染色体破壊により、新しい細胞が生成できない状態となる。まず白血球が生成されなくなったため実妹から提供された造血幹細胞の移植が行われた。移植術自体は成功し移植直後は白血球の増加が見られたが、時間経過と共に新細胞の染色体にも異常が発見され、白血球数が再び減少に転じた。59日後の11月27日、心停止。救命処置により蘇生したものの、心肺停止によるダメージから各臓器の機能が著しく低下、最終的に治療手段が無くなり、事故から83日後の12月21日、多臓器不全により死亡した。
○6.0 - 10グレイ・イクイバレント(推定6 - 10シーベルト)の被曝をした作業員B(当時40歳)もAと同様に高線量被曝による染色体破壊を受け、造血細胞の移植が一定の成果をあげたことにより一時は警察への証言を行うまでに回復した。しかし放射線障害により徐々に容態が悪化、さらにMRSA感染による肺炎を併発し、事故から211日後の2000年4月27日、多臓器不全により死亡した。
○推定1 - 4.5グレイ・イクイバレントの被曝をした作業員C(当時54歳)は、一時白血球数がゼロになったが、放医研の無菌病室において骨髄移植を受け回復。12月20日に放医研を退院した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/東海村JCO臨界事故

うしみつ注:以下、医学的な記録であるもののショッキングな画像が含まれています。閲覧注意でお願いします。