
分かりやすいんだよな
それが良いってわけじゃないけど
色即是空
色即是空(しきそくぜくう)とは、『般若心経』にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。
「色」は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象を意味し、「空」は、固定した実体がなく空虚であるという意味。空即是色と対をなす。「色即是空」の区切りは「色、即是、空」とされる。
この世のすべてのものは、永劫不変の実体ではないとする仏教の教義。「色」は、サンスクリット語ではルーパで、目に見えるもの、形づくられたものという意味で、それらは実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変で実体はなく、すなわち「空」である。「空」は「無」や「虚無」ではなく、存在する宇宙のすべての物質や現象の根源には目には見えないが、エネルギーがあり、宇宙に存在するすべてのものはこのエネルギーが刻々形を変えているものである。すなわちエネルギーが「空」であり、「空」から生み出される形象が「色」と解釈される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/色即是空
仏教って結局何ですか?っ聞いたら
答に執着するなってこと?
逃げだな
死んだらとか宇宙のはじまりはとかな
それと自分の苦悩をきちんと理解しましょうといってる
スジャータが牛の乳くらいしかわからん
キリスト教もあるよ
天使崇拝やマリア崇拝がはやりすぎで
堕天認定されたりマリア禁じられたり
座右の銘は「人生なる様にしかならん、気楽に生きろ」と言ってたわ
空仮中(三諦)とごっちゃなってるな
三諦
天台宗の根本教義。
空・仮・中の三つの真理。すなわち、この世の事物はすべて実体ではないとする空諦、すべて縁起によって生じた現象であるとする仮諦、すべては空・仮を超えた絶対的真実であるとする中諦の総称。三諦は孤立して成立するのではなく、同時に一つの真理として成立するもので、それを三諦円融という。空仮中。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
あれは南無阿弥陀仏の6文字を表現してるらしい
超早分かりブッダの教え
○真理は、観察,発見…諸行無常、諸法無我、光は音より速い、地球は球形、、
×観念的思考…○○を信じなさい→創作、根拠薄弱
ブッダの真理の教えは信仰宗教さえ越えていた、無我を説く
↓
人はあれこれ観念的思考に囚われ苦悩する
→ブッダの瞑想しよう…観行瞑想、マインドフルネス認知療法(医療が認める)
無我は自己否定でもなく、無思考継続でもなく、観念思考と同一化させない
思考は道具として使いましょう
利己的でなく調和をもたらす善行しよう、違う考えの他者は敵でなく調和を
すべての生き物が幸せであれと(自我は利己的なのです)
はいおわり
それじゃいろいろ無理だな
菩提心や金剛乘などの本質は理解できない
日本の仏教と言うのはなんでもあり
インドの仏教がシナで道教的呪術や儒教的祖先崇拝と融合しちゃった
さらには日本では土着の神道ともね
従って深く考えない方がいいよ
(卒論は上座部仏教)正直言って今でもよくわからない
いくらでも言えるけど客観的な立場から宗教をとらえる
中立的な非護教的立場から見るとなんも言えねえ
と言うのが正直なところ
汲めてたらこういう宗教化はしないはずじゃないの
特定の宗教にはくみしない
かと言って宗教を否定はしない
その立場から言うとそれは宗教の宿命 人間の業
教祖が死ぬ→弟子が残る→教団として組織化
その為にどうするか?と言う問題
数学者だけが難しい数式を解ければいいように皆が解脱まで辿り着く必要はない
解脱が本当にありえるものだとしてその実践法は本当に正しいのかを検討すべきだし
仏教は仏教ではなく仏学として皆に教えられるべきだった
自ら助かろう、切り開こうとしている人を助ける説法はする
ってとこだろうか
信じるものは救われるというのとも違うかね
悟りをひらくって言うだろ?あれが仏になった状態
禅=とにかく座禅しろ
日蓮宗ー法華経以外読むな
真言宗 天台宗=生きながら仏になるべし
華厳宗=一つのものはすっべてに通じすべてのものは一つに通ず
法相宗=仏教が凡人に分かるかボケ
三論宗=すべては人の心次第
2:その実在の人物を神として奉るインド多神教の教義
最低限、この二層↑の区別は必要だし、
1&2の内部にも多数の教派があるというカオス状態w
実在武将の関羽雲長と、それを神格化した道教の関帝
実在政治家の菅原道真と、それを神格化した神道の天神様
……みたいな関係だわな
自分の代で終わりでいいやって思ってたの?
自分が死んだ後の事まではコントロールできないからな
どうしようもないことだから
どうでもいいと思ってたんじゃないかな
本来、仏教は個人救済の宗教。釈迦の出家動機は、人生の苦しみ(生老病死)を解明し悟りを開くため。他人のためでも後世のためでもない。
悟りの境地に至り、そのまま入滅しようとした釈迦に、梵天が他者の救済もやってね―と願い出た。受ける必要なんかないんだがね。これが「仏の慈悲」。
誰でも自分次第で悟りに至れる道を後世に残してくれた方だから偉大なんだよ
悟りとは特殊な体験ではない
仏陀の教え通りに生きれば誰にでも至れる境地である
それを後世に伝えているのが
今のお坊様たちだ
粗末に扱うなよ
悟りに至れなくなる自分が損するだけだ
釈迦は後世はどうでもいいって言ってるって言ってるよ
阿呆が
ならば成道後にそのまま何も語らず死んでたはずだろ?
梵天勧請によってその考えを改めたのが釈尊である
滅する直前まで弟子たちに教えを残した釈尊が
後世をどうでもいいなど思うはずがないだろ
事実に反した
矛盾した行為になるだろうが
肉体が老いの苦しみと病気と戦いながら
広いインド中を歩き回り最後の最期まで教えを説いて回ったのが
釈尊である
その行為がすべてを物語っている
全ての衆生を仏と為して救う
その想いが大乗の精神である
自分だけ悟るなら簡単だ
悟ってからの行為が仏をこの次元に召喚する方法なのだよ
すげえいっぱいの人が苦しんで争ってるし
争ってる奴らが仏陀の生き方を実践しているか?
していないだろ
それがおまえへの答えだ
要するに仏教は自力で切り開けって考えでキリスト教は神よお救いくださいなんだよな
人生は苦しみである!なんてしたり顔で言われても
まあたしかに悩んではいますがそれほどでも・・・と感じるのが現代日本
一切皆苦
一切皆苦(いっさいかいく)とは、仏教における四法印の一つである。正しくは「一切行苦」と漢訳する。
初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれている。これを「一切皆苦」と言う。
「苦」の原語は、パーリ語ではドゥッカ(dukkha)であり、パーリー語の場合には単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「不満」といったニュアンスも持つ
阿毘達磨(アビダルマ)文献によれば、苦は「逼悩」の義と定義される。「圧迫して(○○○○○に)悩まされる」という意である。この苦には二つの用法がある。一つは楽や不苦不楽に対する苦であり、他は「一切皆苦」といわれるときの苦である。前者は日常的感覚における苦受であり、肉体的な身苦(苦)と精神的な心苦(憂)に分けられることもある。しかしながら、精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦となり、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされ、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても、苦ではないものはないわけで、一切皆苦とはこの意であるとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/一切皆苦
そこそこ苦しんでるけどそれは自分だけで折り合いつくレベルだし
因果応報自業自得
それが仏の教えだからな
神のような絶対者は居ないし人間の死後の魂は無いだから
以後いろんな教説がくっついて変化して行って
最後に密教においては絶対者は居るになってしまったんで
仏教とひとくくりには出来ない

私の中の仏教や釈迦に関する情報のソースは
9割手塚治虫の「ブッダ」ですねぇ…
劇場版の第三部はまだですかー!?
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Comment
>>102(104,106,110)が気持ち悪い
悟ろうと思って悟れる人なんてわずかだよなぁ
大体は飽きるか諦めるで終わるやろ
自らを修行によって高めていく上座部と、衆生を救うという大義名分のもとに布教活動している大乗仏教は分けて考えた方が良くないか?
悟りを開いて上がりじゃなくて、悟りの状態にとどまるなってのが仏教の厳しいところ
一抜けたを許さない
熏習です 生き方の癖や振る舞い、生活習慣は自分に染み付いていく
癖に執らわれないことが執着への諦観
諦めて捨て鉢になるような話とは全く違う
ブッダのことばっていう本読むのが一番手っ取り早いんちゃうか
お前が仏になるんだよ!
ブッダの本来の教えは凡人にはようわからんから、誰でもわかりやすい(本来のブッダの教えとは全然違う)浄土宗系統の教えが最大勢力になるんだろう。
まあブッダの教えと仏教とは違うわな
手塚先生のブッダは本物の僧侶からしたら色々言いたいことがたくさんあるらしい。
自分が知ってる限りだと
「語りにくいことは語るな(宇宙の神秘など)」
「あんまり執着するな(ほどほどに、死なない程度に)」
「瞑想しろ」
が仏陀の仰られたことだということぐらい。
ちなみに浄土真宗がなんで念仏唱えてれば救われるという本来の仏教と違う姿になったかというと
浄土宗開祖「庶民に仏教のすばらしさを説いて救いたいけどそもそもそんなこと理解できるように勉強する余裕庶民にはないやんけ」
→「せや!とりあえず仏様に祈るだけでも幸せになるような教義にしたろ!」
という感じらしい。
自分の考えを捨ててあるがままに任せなさい
なるようにしかならないのだからが仏の教えなんだと思ってた
基本は「縁起」と「無我」じゃないかな
自然に生きろ、みたいなのは何か中国経由で老荘思想が混じってるね
浄土宗開祖「日本の仏教で戒律守れて悟れる奴なんぞおらんやん。引き籠って仏典読んでよ…。お、この仏典に念仏唱えたら浄土連れてってくれてそこで悟れる環境まで用意してくれる仏さんの事が書いてあるやんサンキュー阿弥陀サマ」
↓
島流し!!
当然だよね。当時の仏教全否定したんだものw
「先に生まれたからって偉いのかよ」「他人の言ったこと鵜呑みにしてソースなしですかwww」「でもぶっちゃけ君、悟れてないよね」
っていう割とファンキーなオジサンだったらしい。
仏教の最終形って、ぶっちゃけ法華教。
最後に法華教唱えたとき、「今までのは無しね」って言っちゃったから。
中道
縁起
八正道
六波羅蜜
我々日本人はとりあえず 仏陀 → 龍樹 → 法然 の流れが解ってないとこんがらがるよ
根本は同じだけど 認識するには別々のアプローチをしないと
>>53
念仏行については大乗以前からあるよ
そんなに重要視されてないだけで
だから、お前なんてものはねえよ(無常)。ってのが、基本だろ。
空想上の存在だけど我を崇めて金寄こせ
宗教はどんなものでも1部の人の金儲けの為にある
無分別智の体得なんだよなぁ
孫悟空の名前の意味を知った時はなるほどと思った。
日本の仏教は宗教じゃない
生活の知恵なんだよ
簡単に言えば仏教と神道とアミニズムのごった煮
ってクリスチャンにもムスリムにも説明したけど理解してくれなかったorz
仏教の本質は、「ニーバーの祈り」とほとんど一緒。
「神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
神に与えられるのでなく、自ら修得するのが仏教の修行。
親が子どもに願うことが仏さまの教えってばっちゃが言ってた。
あるがままに、健やかに家族や他人を思いやり、
自分で人生を考えて動き、仏への道をめざす。
みんながそのようにすれば争いも起きず、みんなハッピー。
なむなむ。
どこかのよく分からんおっさんの言うことを真に受けるな、みたいな感じのことも言ってたし、
まぁ、自分で考えて動けって感じ、でもほどほどにね
原始仏教は本当に哲学であって宗教じゃない。現世利益とか善悪とか全く考えない。そこから解脱するのが目的だから、全ての人が仏陀と同じ悟りに至ろうと考えるのは現実的じゃない。全ての欲求やしがらみを放棄し生物としての人間を放棄するのに近い。そこで真我論争になるわけだ。禅宗はまだテイストが残ってるほうと言える。
日本の大乗仏教は色々混ざって仏陀のとは全然違う「宗教」になってるが、日本の一般人が現世利益(社会とうまくやる)を得るにはまあまあいい線行ってる。この辺で妥協しとくのが身の為。哲学を究極まで追求したい奴以外、原始仏教にはついて行けない。そもそも仏陀もインド哲学の命題に挑んで達した域なワケだし。
102みたいに曲解するアホがたくさんいるから物事は正しく伝わらないんだろうな
原初の仏教は哲学のようなものだったが広がっていく内に本来の教えに無いものや土着信仰と結び付いて「宗教」になっていった、ていう感じなのな
個人的には中庸の考え方が好きです
宗教は時間かけて学ぶもんだからわかりやすくある必要はないし一貫性がある必要性もない
仏教のように多様性がある教えが広がっているものを追うといろんな考え方を獲得できる
「ワシ働きたくない、だから偉そうな話しするから黙って金出せコラ」って、ことです。
仏教思想のゼロポイントマジおすすめ
別に大してコアな部分を知りたいとは思ってないから2chで聞くんだと思うけど
かといってお前らどう思ってんの?使えんの?ぐらいのノリで聞いたところで
スレが生きてる間にレアは出ないと思う
そんなにちゃんとは知らないけど
・生きる事は苦しみである
・だが、苦しみとは自らの心の反応から来るもの
・心の反応が起こるのは煩悩(欲望、怒り、妄想)があるから
って事だと解釈してる。
心の反応から解放される事を解脱や悟りと言う。
悲しみも怒りの一種、なんていう教えは興味深い。
宗教というよりも哲学だね。
大きく部派・大乗と分けて
大乗のなかで密教とそれ以外に分けた上でないと
四法印くらいしか語れることないんじゃないかな
難しい話はよくわからんけど、
ガウタマ先生はきっと、厳しくて温かいおじーちゃんだったんだろうなと思うよ
ガウタマ先生と同じ時代に生きて、同じ空を眺めたかったなあ
因果の理法、仏の精神、浄楽我除を
重んじるもの。
欲深い者は、傲慢なり。宗派により、
教えは違う。キリストは、万物創造の
教え。だから、因果の説明が残念になる
のがオチ。
※21
アニミズムな
ブッダが自分がいなくなった後、自灯明法灯明でおkって
言ってるのに、仏教語って「教祖さま、教祖さま」喚いているヤツラは
信用できん
釈迦…
人生は苦しみのみ多い。しかし心を正しく持てば苦しまず生きていける。
竜樹…
凡人にそんな境地は無理だから、せめて釈迦を信仰して生きていきましょう。
釈迦までは哲学、竜樹からは宗教だと思う。
悟ってる人間はいると思うけどな
ただ、何の役にも立たないだけで
釈迦は空を体感しつつも人に救いの道を示してきたから偉人
仏教はニートには何の役にも立たないね。
働けて生活できているけど、何のために日々働いているのかわからない人はうんちょすくん?
あああああーーーーー
あああああーーーー
ああああああーーーーーー
うん。
クズでも許せ、です。