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消えた過去記事復活掲載について
最近「過去記事が大量に消えていますが、どこにいったのですか?もう読むことはできないのですか?」といった内容のお問い合わせをいただいています。
かつてサイト移転をした際、 新たなレイティングに合わせて幾つかの記事をお蔵入りにしました。皆さんからいただいたコメントも一緒に消えてしまっている為、非常に申し訳ない気持ちで居たのですが…この際、幾つかの記事はちょこっと手を加えて当時のコメントをそのままに復活させることにしました。
本来の記事の邪魔をしないよう平日の深夜帯、時事性の無い記事のみに絞って少しずつ復活掲載させていただきますので、ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2014/01/14(火) 23:10:11.02 ID:H77vXhfF0

森長可みたいな

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森 長可
森 長可は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
非常に気性の激しい人物で、他の織田家臣団の奉公人を些細なことで怒りに任せて槍で突き殺したり、同僚に暴言を吐くなどして諍いを起こすことも少なくなかった。
高遠城攻めの時は激戦で長可の鎧の下半身は高遠城兵の返り血で真っ赤に染まっており、その姿を見た織田信忠は思わず手負いかどうか尋ねたという。
信長が京都に館を構えた頃、近江の瀬田に関所を設けて諸国大名の氏名を記し通行させた。長可が関所に差し掛かると関守に下馬して家名を名乗るように言われたが、長可は急いでいるとして下馬せずに名乗って通ろうとした。立ちふさがる関守を「信長公の御前ならともかく、この勝蔵に下馬を強いるとは何事」と斬り捨て、止め立てすれば町を焼き払うと叫んだので、木戸は開かれた。長可がこの一件を話し裁定を仰ぐと、信長は笑って、昔五条橋で人を討った武蔵坊弁慶がいたが、長可も瀬田の橋で人を討ったとして、今後は武蔵守と改めよと言ったという。


http://ja.wikipedia.org/wiki/森長可