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過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/05(日) 01:26:44.47 ID:zPLRjDwMK.net
矢板実父殺人事件

A子は中学生の頃から実の父親に性的暴行を受け5度の出産と5度の流産をし更に避妊手術を受けさせられた。
子供を連れ逃げようとしても追いかけてきては同居する父親。ある日、同居解消の説得の際に「お前が出ていくなら子供は俺が全員殺す」と言われカッとなりA子は父親を絞め殺しそのまま自首

懲役2年6ヶ月
尊属殺法定刑違憲事件
尊属殺法定刑違憲事件(そんぞくさつほうていけいいけんじけん)とは、1973年(昭和48年)4月4日に最高裁において、刑法第200条に規定された「尊属殺」の重罰規定が日本国憲法第14条(法の下の平等)に反し、違憲判決が下された殺人事件。最高裁判所大法廷が違憲立法審査権を発動し、既存の法律を違憲と判断した最初の判例である(法令違憲)。「尊属殺重罰規定違憲判決」、「栃木実父殺し事件」(栃木県矢板市での事件である)とも呼ばれる。
1968年10月5日、被告人の女A(当時29歳)は実父B(当時53歳)を絞殺した。殺害の日まで被告人Aは被害者Bによって10日間にわたり自宅に監禁状態にあり、最終的に口論の末に殺害したものである。
検察が被告人Aの家庭環境を捜査したところ、被告人Aが14歳の時から実父Bによって性的虐待を継続的に受けており、近親姦を強いられた結果、親娘の間で5人の子(うち2人が幼いうちに死亡、他にも6人を妊娠中絶)を産む夫婦同様の生活を強いられていたことが判明した。さらに、被告人は医師からこれ以上妊娠すると身体が危ないと諭され、不妊手術を受けていた。
被告人Aがその境遇から逃げ出さなかったのは、自分が逃げると同居していた妹が同じ目に遭う恐れがあったからであった。そうした中、Aにも職場で7歳年下の相思相愛の相手が現れ、正常な結婚をする機会が巡ってきた。その男性と結婚したい旨をBに打ち明けたところ、Bは激怒しAを監禁した。その間BはAに性交を強要した上、罵倒するなどしたため、Aは思い余って腰ひもでBを絞殺するに至った。なお、報道機関はこのような事情を把握していたが、内容が常軌を逸していたためか、事件当時にはほとんど報道されなかった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/尊属殺法定刑違憲事件