1: ローリングソバット(庭)@\(^o^)/ 2015/12/09(水) 13:13:13.71 ID:L5I1Zpko0.net BE:273822876-PLT(12000) ポイント特典
■惨劇の始まり。ひと目で食い荒らされたと分かる無残な遺体

惨劇は1915年12月9日に幕を開けた。
現在の北海道苫前村にあった集落では、15軒の開拓農家が軒を連ねていた。そのうちの1軒。
初めにヒグマが狙いを定めたのは太田家だった。年中行事に駆り出されていた家主・三郎のいぬ間に、内妻・マユと預かり子・幹雄が犠牲になった。

太田家の寄宿人・オドが昼過ぎに帰宅すると、囲炉裏の前には幹雄がいた。
「おい幹雄、帰ったぞ」。オドが声をかけるも返事はない。
しかし、近づいてすぐに分かったのは、顔の下に血溜まりを作り、のどの一部がえぐられていた幹雄がこと切れているということだった。

その後、他の村人たちも合流。マユがヒグマに連れ去られたのが分かり、近隣の住民たちも協力した捜索隊が組まれた。
捜索が開始されたのは翌日の10日9時頃。
小雪のちらつく山道を進む捜索隊の眼前、トドマツの根元にあった黒いかたまりが突如として巨大なヒグマへと変貌した。

あわてふためく捜索隊。なかには声を上げて逃げ出す者もいた中、5名いた銃手たちが次々に発砲を試みた。
しかし、日頃からの整備不良によりことごとく不発。唯一、火を放った1丁の猟銃すらも命中せず、捜索隊は千載一遇の機会を逸してしまった。

 ただ、トドマツの根元からはマユの遺体が発見された。とはいえ、すでに原形はとどめていない。
辺りの木々に衣服は散らばり、足袋や脚絆を付けた膝から下の両足、そして、頭髪をはがされた頭蓋骨のみが残されており、誰が見ても、無残に食い荒らされた跡というのは明白だった。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151208-00008686-davinci-life
ダ・ヴィンチニュース 12月8日(火)6時30分配信

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うしみつ注:↑最後のこれはネタ画像と思われる

三毛別羆事件
三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢(正式名は北海道天塩国苫前郡苫前村大字力昼村三毛別御料農地6号新区画開拓部落六線沢)で発生した、クマの獣害(じゅうがい)としては記録的な被害を出した事件。六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事件は終息した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件