過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2017/08/23(水) 06:55:58.376 ID:Ph++sSqAd.net
 1993年12月31日
「ただ心配なのは、来年、私しと、子供はどうなるのでせうか。後少しのお金で、一年持つか、持たないかの不安と、同時に、其の後は、どんな生活に、成るのでせうか」

「相談する人もないし、役所などに相談した所で、最後は、自分で、決めねばならない。子供が、病人である丈に、非常に、心配で、たまら無い。私しが、働けるとよいけれど、今の所、全身が悪いのでどうする事も出来ない」
池袋・親子餓死事件
九六年四月二七日、東京・豊島区池袋のアパートで、七七歳の母親と四一歳の寝たきりの長男が死んでいるのが見つかった。隣人が物音がしないのに不審をいだいて警察に連絡した。母親は台所で、長男は布団に横たわり、死後二○日ほどたっていた。死因は二人とも栄養欠乏症だった。部屋には現金二八円のほか、母親が亡くなるまで二年間、A6版のノート一○冊に書き綴った覚え書き(日記帳)があった。「これで最後の食事が終わった。明日からは食べるものがない。毎日がつらく、死なせてほしい」などと書かれていた。母親は行政に対する不信感があって、生活保護など社会に訴える考えはなかったようで、区では「母親が抱いていた世界観で自ら死を選んだ」と結論づけている。しかし、食べ物がなく困っているのを知りながら区が何もしなかったのは問題と批判が出ている。豊島区では情報公開条例に基づいて日記を公開したが、東京法務局は「本人の意思によらずに公開すると、プライバシーを侵害する恐れがある」と区に区民の人権擁護を要望した。親子は一一年前にこのアパートに親子三人で入居、父親は九二年三月に死亡。生活保護は受けておらず、母親の収入は月四万円の老齢年金だけ。家賃が八万五○○○円だから、あとは貯金を取り崩していたらしい。近所との付き合いはほとんどなかったという。後日、アパートから亡夫名義の一○○万円の銀行預金通帳が見つかったが、相続手続きで、相続人の親族の協力が得られないまま、相続の手続きができず引き落とせなかったのではないかとみられている。
なお、この事件で区長ら幹部五人が減給などの処分を受けた。


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