1: 納豆スパ ★ 2017/10/28(土) 10:49:04.78 ID:CAP_USER9.net
イースター島の古代住民は、DNAに「南米の痕跡」が一切なかった:研究結果から判明

イースター島の新たな謎だ。古代の住民の遺骨の遺伝子を分析したところ、南アメリカの住民との接触の痕跡は見つからなかった。これらの人々は、いったいどこからやってきたのだろうか?

WIRED 2017.10.26 THU 08:00
TEXT BY VIOLA RITA
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI PHOTO: Gabor Kovacs/123RF
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https://wired.jp/2017/10/26/new-mystery-of-easter/

陰謀、魔法、魅惑──。これらはチリ領のイースター島を特徴づける要素である。イースター島は、現地語でラパ・ヌイという。南太平洋の小さな孤島で、その巨大なモアイ像で有名だ。

その神秘のオーラに、もう一つ謎のデータが加わろうとしている。ラパ・ヌイの古代の人々のDNAを分析したところ、島に最も近い大陸である南アメリカの住民たちとの繋がりが、少なくとも古い時代においては何も見られなかったのだ。今回の研究の結果は「Current Biology」に掲載されている。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校の主導による研究は、同じ雑誌に掲載された過去の証明を否定している。これは反対に、アメリカの住民とイースター島の住民との間に遺伝的接触があったと指摘していた。しかし、この接触の仮説は科学者の間で長く議論の的となっていて、論争はいまも行われている。

ラパ・ヌイの人口は約5,700人で、76パーセントがポリネシア系、16パーセントがヨーロッパ系、8パーセントがネイティヴ・アメリカン系で構成されている。しかし、アメリカ系はいつイースター島にやって来たのだろうか? 接触は、ヨーロッパ人がラパ・ヌイを発見してやって来たより前にあったのだろうか? これが、研究者たちの立てた問いだ。

そこで研究者たちは、ラパ・ヌイの住民たちの遺跡の骨のサンプル、特に肋骨の分析を行った。調査では、ヨーロッパ人の島への上陸に先立つ時期にさかのぼる遺物やこの年代の後の遺物が対象となった。

全ての断片の分析からは、アメリカ系との遺伝的繋がりは見つからなかった。少なくとも文化的レヴェルでいくらかの交流があったことを排除することはできない一方で、こうした接触が短く表面的だったかもしれないことを研究者たちは示した。遺伝的痕跡を何も残していないためだ。

実際、オランダ人のヤーコプ・ロッフェヘーンによる島の発見と最初の上陸は1722年のことだった。しかし、研究の著者たちが説明したように、南アメリカの住民との重要な接触は、何年もあとになってようやく生じた。実際、研究者たちによると、両住民間の本当の交流は、ネイティヴ・アメリカンのグループが現在島にいることを基にすると、19世紀頃に生じたとされる。

いま、研究者たちは調査をオセアニアの古代の住民たちや、イースター島により近い南アメリカ西側のその他の個体に属する遺物のサンプルへと広げることにより、研究を深めようとしている。すべては、いつ住民たちが相互交流し、互いに混じり合ったかをよりよく解明するためだ。

ラパ・ヌイと南アメリカの住人たちの移動が解明されるまでは、900以上の荘厳な巨大像によって有名なイースター島の神秘は、さらに深まることだろう。

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http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064
イースター島
イースター島(イースターとう)は、チリ領の太平洋上に位置する火山島。日本では英称由来の「イースター島」と呼ばれることが多い。モアイの建つ島として有名である。
海底火山の噴火によって形成された島に、最初の移民が辿り着いた時期については諸説ある。文字記録が無いため発掘調査における炭素年代測定が有力な調査手段とされ、従来は4世紀〜5世紀頃とする説や西暦800年頃とする説が有力だったが、近年の研究では西暦1200年頃ともいう[4]。この移民は、遥か昔に中国大陸からの人類集団(漢民族の祖先集団)の南下に伴って台湾から玉突き的に押し出された人びと(→オーストロネシア語族を参照)の一派、いわゆるポリネシア人である。ポリネシア人の社会は、酋長を中心とする部族社会であり、酋長の権力は絶対で、厳然たる階級制度によって成り立っている。部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者達の霊を部族の守り神として祀る習慣があった。タヒチでは、マラエと呼ばれる祭壇が作られ、木あるいは石を素材とするシンボルが置かれた。イースター島でも同様に行われていたと想像できる。化石や花粉の研究から、当時のラパ・ヌイは、世界でも有数の巨大椰子(チリサケヤシの同種もしくは近縁種(Paschalococos))が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が、一族とともに2艘の大きなカヌーでラパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。上陸したポリネシア人は鶏とネズミを共に持ち込んで食用とした。


https://ja.wikipedia.org/wiki/イースター島