no title
過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: グロリア(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ 2016/03/03(木) 20:00:37.81 ID:zQnNOnUc0.net 
592
神輿
神輿、御輿(みこし、しんよ)は、通常、神道の祭の際に、普段は神社にいる神霊が氏子町内、御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。
文献上での初出は、奈良時代の元正天皇の治世、養老4年(720年)九州で起こった「隼人の乱」にあるという。同年2月九州南部の大隅・日向に住む隼人族は、大隅国守を殺害して反乱を起こした。朝廷は歌人としても有名な大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、1万を超す軍隊を派兵した。この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、国家鎮護と隼人討伐を祈願した。当時は、今の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神は、この願いに応じ、「われ征きて降し伏すべし。みずから神軍を率いて隼人討伐に赴く」と託宣を下した。朝廷は豊前国司(ぶぜんこくし)宇努首男人(うぬのおびとおひと)に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、「豊前国司に仰せつけられ、初めて神輿を作らしむ」とある。
聖武天皇が奈良に東大寺を建て、毘盧舎那仏(奈良の大仏)を建立して国の象徴として建設にあたる時、天平勝宝元年(749年)に、これを助けるために、宇佐八幡神は、屋根に金色の鳳凰が輝く天皇の乗り物(鳳輦)に乗って奈良の都へと渡御した。この鳳輦こそが、1300年の歳月を経て今に伝わる神輿の原型である。


https://ja.wikipedia.org/wiki/神輿