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1: 名無しさん@おーぷん 2017/12/04(月)01:12:00 ID:6k3
1(三) 文字が読める者は死刑
2(右) 手が汚れていない者は死刑
3(遊) 泣いたら死刑
4(中) 大人は死刑
5(二) 笑ったら死刑
6(一) 歌を口ずさんだら死刑
7(左) 眼鏡をかけていたら死刑
8(捕) 医者は死刑
9(投) 密告されたら真偽関係なく死刑

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ポル・ポト
ポル・ポト(1928年5月19日 - 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家。
1976年5月13日、ポル・ポトは民主カンプチアの首相に正式に就任する。主カンプチアの国家体制は中華人民共和国の毛沢東主義を基盤にした「原始共産主義社会」であり、その実現のために、国立銀行を閉鎖し、貨幣なども廃止する一方、都市住民を農村に強制移住させ、食糧増産に従事させた。しかし、その際に方法論として資本主義に関する文明の利器を全て一掃したため、国民は農作業や灌漑施設の建設などの重労働を全て手作業で行うなどの過酷な労働環境を強いられる。更に生産された米の多くは外国からの武器調達のために輸出されたため、国民の多くは飢餓、栄養失調、過労による死へと追いやられていった。
このような惨状を目の当たりにしたポル・ポトは、裏切り者やスパイの政権内への潜伏を疑って猜疑心を強め、医師や教師を含む知識階級を殺害するなど、国民に対する虐殺が横行した。やがて虐殺の対象は民主カンプチア建国前から農村に従事していた層にまで広がり、カンボジアは事実上国土全域が強制収容所化した。
このような大規模な知識階級への虐殺、あるいは成人年齢層への虐殺に加え、ポルポト側が「資本主義の垢にまみれていないから」という理由で子供を重用するようになったため、国内には子供医師や少年兵までもが現れ、人材は払底を極めた。
ポル・ポト政権下での死傷者数はさまざまに推計されている。カンボジアでは1962年の国勢調査を最後に戦争状態に入り、以後1975年までの正確な人口動態が不明となりこうした諸推計にも大きな開きが出ている。ベトナムが支援するヘン・サムリン政権は1975年から1979年の間の死者数を300万人とした(これはのちに下方修正された)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ポル・ポト