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1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2014/09/27(土) 00:19:41.16 0.net
敵われても困るけど

女子高生コンクリート詰め殺人事件
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)とは、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。
この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。

事件の経緯
バイト帰りの女子高生の自転車を少年が蹴り、少年Aが親切な素振りで近づき、「お前はヤクザに狙われている」「俺が助けてやる」と言い、ホテルに連れ込んで女子高校生を強姦し、事件の現場となった家の自宅2階の居室に監禁した。
少女を帰そうとせず、輪姦、性器にビン・マッチ・タバコなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせたりした。少女は少年らの隙をついて警察に通報したのだが少年Aに見つかり阻止され、その腹いせに足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶるという暴力行為をし、彼女の焼け焦げた足の腐臭を疎ましく思い強姦の対象から暴力へと変貌し、1m以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6kgの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部などを多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がるほどの殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。
女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。
1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。
翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/女子高生コンクリート詰め殺人事件

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北九州監禁殺人事件
北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件である。

事件の概要
人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。
非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。報道量が少なくなった理由としては「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族がメディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」があるとされている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/北九州監禁殺人事件

世田谷一家殺害事件
世田谷一家殺害事件(せたがやいっかさつがいじけん)とは、2000年に東京都世田谷区の一家4人が惨殺された事件の一般的な呼称。警視庁による正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件。被疑者は逮捕されておらず、未解決事件となっている。

事件の概要
21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。
この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まり、パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、警視庁による情報公開が行われ、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/世田谷一家殺害事件