1: しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★ 2020/01/02(木) 09:22:22.17 ID:RbntMfvl9
邪馬台国の女王・卑弥呼が、中国・魏の明帝に貢献の使者を派遣したのは、西暦239年(前年の西暦238年説あり)6月のことでした。「三国志」の名軍師・諸葛孔明が没した、4年後にあたります。

 その年の12月、卑弥呼は「親魏倭王」の称号を授けられました。

 これは3世紀の末、晋王朝の史官・陳寿が著した、有名な「魏志」倭人伝――正しくは「魏志」の「東夷伝」の「倭人の条」(1987文字)に出てくる記述です。

 さて、この女王・卑弥呼は、日本側の記録ではどのように述べられているのでしょうか。

■孝霊天皇の娘か


「日本書紀」の著者は、第15代の応神天皇の母・神功皇后と同一人物とみなしています。

が、皇后の本当の在世は4世紀の中頃であり、歴史的には約1世紀のずれが生じます。天照大神こそ、との説もありますが、これではあまりに時代が遠すぎます。

 筆者は第7代孝霊天皇の娘・倭迹迹日百襲姫命ではないか、と考えてきました。

(中略)

■開化天皇在位年と符合

 同時に、倭迹迹日百襲姫命が生きた時代は、姫の甥(姫の異母兄・第8代孝元天皇の子)とされる開化天皇(第9代)が在位した60年間とも重なります。ほぼ邪馬台国の女王・卑弥呼の、統治年数と一致するように思えてなりません。

(中略)

 さらには、卑弥呼かもしれない姫の墓は、奈良県桜井市に今も、「箸墓」として伝承されています。筆者はこの墓こそ、卑弥呼のものだ、と推論してきました。

 彼女が現れるまでは、男の王が立って治めていたそうですが、国々は争い、乱れており、それが卑弥呼の“鬼道”(祖霊を信ずる道教的色彩の強いシャーマニズム)によって、邪馬台国(倭国)は、ようやく統一された、というのです。

■卑弥呼が「親魏倭王」になれたワケ

 卑弥呼は15歳前後で女王になり、30代で後漢と通じ、老年の239年に魏との国交を開いて4回にわたって使者を送り、10年後に79歳で死亡したといわれている。

 最初の使者派遣の際、魏の皇帝は卑弥呼に膨大な贈り物を与えた上に「親魏倭王」の称号とその地位を表す「金印紫綬」を授けた。「親魏」という破格の高位の称号は他の諸国の王の上に置かれたことを意味する。これを許されたのは卑弥呼と「大月氏国(だいげっしこく)」と呼ばれたインドの王の2人だけ。卑弥呼は実力以上の評価を受けたことになる。

(以下略)

https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/266/391/21f269693a9dc13923350d18afe352c320191217125251434_262_262.jpg
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/266391

24: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 09:42:59.95 ID:rJrguj7Q0
>>1

年代的には、

卑弥呼は神功皇后に相当するだろうな。
いずれにしても、当時の日本は、神武東征からすでに900年経っている。

畿内に相当有力な国家建設をやっていたろう。

中国王朝の「魏」も、一応、「倭」を大国として認識していたのではないか。
その表れが、「倭」と一文字の国名で、しかも「魏」とペアである文字を創製して当時の日本に充てている。

    「魏」と「倭」がペアである文字なのは有名。
    「委ねる」の右に「鬼(先祖霊)」があるのが「魏」。左に「人(生きてる者)」があるのが「倭」となってる。

959: 名無しさん@1周年 2020/01/03(金) 04:04:03.14 ID:D9gg2HRl0
>>1
まず箸墓古墳は考古学調査の結果、
卑弥呼の墳墓とすると魏志倭人伝に記された副葬物があまりに出なさすぎてる
特に30枚以上埋めたはずの魏で作られた鏡が一枚も出てこないのが異常。
また魏志倭人伝に記載のある大きさに比べてあまりに小さすぎる
なにせ「邪馬台国は温暖なので一年を通じて雪が降らず、人々は貫頭衣を着て靴をはかない」は奈良の山の風俗だとあきらかにおかしい
これ、どう見ても南方の海洋民族。

となると魏志倭人伝に沿えば奈良の箸墓は卑弥呼のものではないことだけはたしかになる
ヤマトモモソヒメの可能性はあるけどな
要するに日本書紀作者の時代にすら、魏志倭人伝の邪馬台国の卑弥呼はだれかわからんっつうこと。
てか志賀島で金印出たのになんで奈良に邪馬台国あんのよ
北九州の小王朝なんだろ?どうせ

4: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 09:25:10.07 ID:e0nWWoZZ0
で邪魔大国は何処の県が正しいんだい?九州?

133: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:09:17.60 ID:Ff8rvaUO0
>>4
常識的に考えると自国の国名に「邪」なんてつける可能性は低いので
邪馬台国=ヤマト国の当て字の可能性が高い。

同じ様に自国のトップに「卑」なんて字を使うほど狂ってたとは考えにくいので
卑弥呼=ヒミコ=日御子or火巫女を忌諱したと考えるのが穏当。

471: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 18:09:45.07 ID:7YG8R7yD0
>>133
蘇我入鹿
蘇我馬子
蘇我蝦夷

これも絶対に後付だろ
イヤガラセ感が満載

523: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 18:33:24.04 ID:kVu8RM4h0
>>471
その辺はそうらしいと言われてる
実際他の名前があったとかどうとか

11: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 09:26:58.84 ID:j0v3jSye0
本当はヤマタイという呼び名ではないらしい
ふつうに考えてヤマトじゃないのか

79: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:34:06.48 ID:RAKIT42P0
>>11
台与をトヨと読めば、自ずと邪馬台はヤマトと読める

94: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:43:26.20 ID:jv2ng50k0
>>79
じゃあイヨと読んだらヤマイ国になるの

135: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:10:54.34 ID:Ff8rvaUO0
>>94
その場合はヤマト地方の「イ」国になる。

136: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:15:04.89 ID:lNMaiCRK0
>>135
イ=委=倭
倭国全体を指す言葉だよ

142: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:23:54.57 ID:Ff8rvaUO0
>>136
ところが魏志によると邪馬台国は30余りの国を治める都ということになっている。
これが30の国家からなる連合という意味なのか、30地域を治めるという意味なのかさえ分からない。
なにしろ邪馬台国って単語は魏志に1回しか出てこないしな。

146: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:32:22.49 ID:lNMaiCRK0
>>142
邪馬壹國(ヤマイコク)ね

190: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 12:55:10.63 ID:Lep2ovG20
>>146
北部九州一帯の地域が邪馬壹國ですね
邪馬壹國と投馬國が女王の勢力圏
女王国とは伊都国と奴国のこと。

43: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 09:57:17.56 ID:GGv2eaAJ0
百襲姫が天皇じゃないならその説は破綻してるんじゃね

51: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:06:41.50 ID:DAjNjOEb0
>>43
当時最先端の暦や銅鏡などの祭祀品は中国大陸から輸入していた形跡があるから百襲姫が魏の国と通じていたこと自体は不思議では無い

58: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:13:57.63 ID:GGv2eaAJ0
>>51
今使譯所通三十國
と書かれてるから卑弥呼以外の国の王様が使訳を通じてても不思議はないな

67: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:23:31.95 ID:DAjNjOEb0
>>58
漢の時代の倭国はまだ中央集権されてないだろうからね

53: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:09:20.33 ID:jCmNYtAk0
「倭は悪い文字」というのが常識になってるが本当だろうか

中国は辺境の蛮族は人間扱いせず、動物の字を当てたりしている。
なのに倭は、にんべんがある。

委は、「矮」と同じだから「小さい」という蔑称だという説もある。
だが卑弥呼が使者を送った国は、魏。
魏にも「委」が入っている。

鬼は、日本ではいい意味で使うこともあるが、中国では
悪い意味しかないという(だから、日本鬼子などという)

倭より魏のほうが、よっぽど悪い字に見える。
常識を疑ってみては

612: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 19:13:00.57 ID:bW9TNrWp0
>>53
>「倭は悪い文字」というのが常識になってるが本当だろうか

「倭」の字の分解
 人偏に委ねる→委ねる人 あるいは 委ねた人
「委ねる」の分解
 禾の下に女。ん?「禾」ってなんだ?というので調べてみた。
 no title

 なんと「穀物が実って穂を垂れた姿」なのか!
 ついでに「何の穀物よ」と思ってまた調べたら、粟(あわ)らしい。
 no title

 それそれ、正にその姿だよ! という訳で
  禾の下に女=女が実った粟の穂を取ってるから邪魔せずに任せとこうぜ
 となった。実に見事な場景による心理描写だ。

「矮」(小柄な人)の方は偏が「矢」なので、なぜかをまた調べてみた。
なんと!答えは………「短」の省略形とか!(未だに信じてないがw)
でも「委ねる」んだから「ちょっと不安だけど」ぐらいのニュアンスだな。

そう言えば「魏」の曹操もその将軍の一人も小柄だったな。
忍者もそうで小柄でないと素早い超人的な動きができない。
そういうことが(文字じゃなく見た目から)倭人を大歓迎した
背景にあったのかも

858: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 23:36:19.87 ID:QIDzJVfY0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止

御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた

そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する

63: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:20:16.00 ID:xKPRaaz20
もし日本側の記録がなければこうなる

「16世紀、ローマに使節団を送ったダテマサムネという日本の王がいた

当然、日本の支配者だったはず
地方領主なんかに、そんなことができるわけがない」

72: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:27:40.67 ID:GBh0n/F40
>>63
まあ、そういう話だな。

77: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:33:18.77 ID:wg+H2epF0
>>63
揚げ足取りだが、「Idate Masamune」(いだて まさむね)
と署名した書簡を慶長遣欧使節を通じてローマ教皇に送っている
地方の領主としかみなされず、教皇からの返書は得られなかった

91: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:42:18.52 ID:bALy0oCg0
>>77
西暦107年だっけ?
倭面土國王の帥升も朝貢に行ったが、中国側は地方の領主くらいの対応だったね。

90: オレンジ・エア 2020/01/02(木) 10:41:07.55 ID:k9OtQPg40
金印は本物で確定している。

畿内厨はトンデモの守銭奴

101: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:45:04.99 ID:dQHQfd0l0
>>90
奴国の「漢委奴国王」の金印と
邪馬台国の「親魏倭王」の金印とは
別のもの

99: オレンジ・エア 2020/01/02(木) 10:44:56.28 ID:k9OtQPg40
卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳

125: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:59:16.26 ID:2pgqrZwh0
>>99
もしくは近隣の平原古墳らしいな
二つとも魏志倭人伝に書かれてる殉葬跡が見られるそうな

100: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:44:59.84 ID:oZ3fNn+40
大化の改新、壬申の乱、記紀編纂
ここから我々の知る日本の歴史が始まる

逆に言えば、記紀に記されている「それ以前の歴史」は物語
神武天皇や卑弥呼どころか、教科書で習ったはずの聖徳太子や蘇我入鹿でさえ
その実像は極めてあやふやな神話的存在なのだ

107: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:48:07.63 ID:5cz7hOKr0
銅鏡にしても呉と類似のものが日本で沢山見つかるとか三角縁神獣鏡が大陸ではろくに見つからないとかある訳で

114: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:53:08.67 ID:BceZJb9q0
その時代に79歳まで生きていられたのか?

774: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 21:38:23.30 ID:50+p3A/J0
>>114
三国志を知らんのか

115: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:53:38.65 ID:/QbgEq5/0
卑弥呼は日本の記録には痕跡も何もないんだよ

だから日本書紀は困って適当に神功皇后にあてただけ
もしモモソヒメだのヤマトヒメだのだったら、そっちに書いてる

大和朝廷とは無関係

122: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 10:57:28.39 ID:bALy0oCg0
>>115
柵封されてました、とは書けなかったという説もあるが。

実際には大和朝廷側が国内統一過程で滅ぼした国じゃないかな?

148: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:42:53.95 ID:W44lKvxk0
>>115
だがモモソ姫を別名を日女命とした資料が日本側、丹波にはあるからな。
それはずっと最近まで隠されていた話で
昭和の戦後になって初めて公開されている。

680: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 19:54:08.28 ID:gt08iCtH0
>>148
なんで隠されてたんだろ。

147: 【最底辺】 【964円】 2020/01/02(木) 11:40:32.53 ID:kyxRMFvb0
歴史は時の権力者によって都合良く書き換えられるモノ

後に権力を握った近畿勢しかり

149: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:44:27.60 ID:f5ImEbnY0
新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた
https://www.youtube.com/watch?v=63bNv7RmHHc



Google.mapってこんな機能があったんだ

153: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:50:58.18 ID:7bDv8HF20
卑弥呼が個人名じゃなく、日巫女や姫巫女なら
ヒミコの前にもヒミコがいて、台与もヒミコと呼ばれたろう
邪馬台国以外にもヒミコはいたろう

いつの時代にも日本のあちこちにヒミコがいたなら、記録にヒミコが出てきても
誰のことだかわからない

624: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 19:24:06.45 ID:gt08iCtH0
>>153
ヒミコが複数いたなら記述に時間のズレがあっても
いいわけだ。おもいしろいね。

155: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 11:53:53.71 ID:YJfgV0M90
そもそも邪馬台国はどうやって魏と交流してたのかはっきりしないのがね。

あと孫権が派遣した亶洲とは日本の事なのか?そこも興味がある。場所的には
呉と交易しててもおかしくはない。

172: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 12:16:04.98 ID:ujGVFioW0
呉の都の建業の海を渡った西の沖縄や台湾辺りに
邪馬台国があると魏は考えた
魏は呉を北と東から同時侵攻できると考えたかもしれない

182: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 12:38:20.21 ID:ujGVFioW0
239年 曹爽と司馬懿が皇帝の補佐役となって国政を仕切る

244年 曹爽が蜀を攻めるけど大失敗して帰ってくる(興勢の役)

247年 曹爽が皇帝の権力を奪うことを画策
     司馬懿は病気のフリをして動けないと思わせる

249年 司馬懿がクーデターをおこして曹爽の粛清に成功(高平陵の変)

新たに国政を仕切ることになった曹爽が
呉や蜀を攻める気満々だったころだと思われ239年

206: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 13:19:06.76 ID:3Zbdyxxn0
>>182
大きな意味では呉と蜀に対する牽制になるだろうけど、
直接的には曹丕が自分のことを烏丸を討伐して服従させた曹操に比肩する存在として邪馬台国を強大に描かせて、さらに服従してきたとする政治ショー。
魏国内で曹丕のカリスマ性を高めることが目的だったのではないかな。

207: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 13:20:02.66 ID:bdyyABuk0
日田の鉄鏡と曹操の墓から見つかった鉄鏡が、
同じものだと分かった。
しかも、皇帝しか持ち得ない金象嵌の鉄鏡だ。
日本に渡来した曹丕(魏文帝)の子孫安貴公が、
曹操直系の子孫しか持ち得ない、
金象嵌の鉄鏡を持っていたと推測できる。

210: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 13:26:12.49 ID:Lep2ovG20
>>207
北部九州全体が邪馬壹國なんだ
魏では銅が不足してたんで新手に制作せずに既存の漢代に作られた銅鏡を贈ったのではないかと考えられてるな。

211: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 13:26:17.17 ID:6t9jHcTJ0
>>207
やっぱり宇佐が卑弥呼の墓かね

228: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 14:04:34.18 ID:risAWIey0
トゥームレイダーファースト・ミッションに卑弥呼の墓が出てきたな。
なぜか、香港から船でその場所に行ったけどw

277: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 15:16:21.85 ID:dmrwJMwj0
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
海人族が鉄を持って各地に進出していた
no title

no title


そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる

このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない

神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない

証明終わり

281: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 15:22:37.92 ID:Lep2ovG20
>>277
DNAの研究で三世紀まで倭人は北部九州と中国地方の一部にしか住んで居なかった事が分かった
鉄器を持った倭人が奈良盆地に進出するのが四世紀以降で四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
四世紀以前の奈良盆地は未だ縄文系の人々の国だったのである。

286: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 15:30:26.86 ID:bdyyABuk0
前方後円墳とは、元々、
266年に洛陽に派遣したトヨの使者が見たとされる、
司馬炎が冬至と夏至の祭りごとを行うために作られた、
円丘と方丘を合わせた祭壇であると考えられる。
従って、前方後円墳を卑弥呼の墓にする
などと言うのは完全な間違いであって、
ココが畿内説の大きな戦略ミスとして
のしかかって来ている。

290: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 15:35:04.87 ID:bdyyABuk0
魏の皇帝、曹氏の直系の子孫が、
一族郎党を引き連れて移住した先が
日田であると考えられる訳だから、
彼ら上級国民にとっても、
暮らしやすい場所だという認識があった
のは間違いないだろう。

309: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 15:53:52.07 ID:Hym3cDDFO
79歳まで生きたって凄いな

340: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 16:28:48.25 ID:bdyyABuk0
ちなみに邪馬台国南方四千里にあるとされるのが、
小人の島の侏儒国で、
近年の発掘調査によって、
極端な短頭、低頭、低身長の大人が
埋葬されている特異地域として、
種子島が比定されて来ている。

403: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 17:17:34.55 ID:q3ZYY/xB0
あぁ高句麗と呉が結んでるから、高句麗に当てる駒として日本を利用しようとしたのか

409: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 17:24:22.44 ID:jO9Rr/UA0
>>403
魏志韓伝によれば、魏が任命した帯方郡太守の弓遵は韓諸国の反乱で戦死している
たぶん韓を南から牽制させる目的があったと思われる

404: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 17:18:59.59 ID:0hmLCQr70
邪馬台国は古代のラノベに登場する架空の都市です
こんなに長い間研究しても所在地すらハッキリしないんだから実在しなかったんだろ

413: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 17:25:55.88 ID:3mo6JjjV0
>>404
そういう意味では、ロマンあるわな。

あの時代なら、「それなりに現実に即した詳細記述」をすれば、それが「ラノベ」であっても、後の世に多大な影響を与えられたわけで。

490: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 18:19:47.33 ID:bjPmOQdo0
呪力を持つ女王とかなんか怖いからな、ただの戦馬鹿よりおっかねえ

497: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 18:23:33.82 ID:vEs2nHr70
>>490
no title

373: 名無しさん@1周年 2020/01/02(木) 16:57:08.83 ID:Vz28ZWKe0
決定的な遺跡でも発見されないと永久にわからないんだろうな


オカルト界隈では…
卑弥呼は宇宙人と交信していた
卑弥呼はイエス・キリストの子孫
などというトンデモ論もあるが…


あ、それ飲み会とかで言うと周りの人が割とドン引きするやつモスな


でもそれくらいのほうがロマンがあっていいじゃない


引用元: ・http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577924542/