368: 本当にあった怖い名無し 2018/12/10(月) 12:31:58.21 ID:UKvV4YQL0
石じじいの話です。

以前、「奇妙な仏像」の話をしましたが、似たような話がありました。
海の話です。
昔、海岸の岸壁に仏像が彫られていたそうです。磨崖仏ですね。
その地方には磨崖仏は珍しい存在でした。
その磨崖仏は、線刻ではなくレリーフのりっぱなもので、紛れもなく仏の姿でした。
海に面した砂岩の崖に彫りつけられていましたが、いつ、だれが作ったのかわからなかったと。
記録がなかったのです。
その崖は切り立っていて、アプローチする海岸がないので人は訪れず知っている人もそれほど多くなく、供え物をする人もいませんでした。
その崖から投身自殺する人がたまにいて、それがお供え物だ、と噂する不届き者がいたていどでした。
近くの漁民が、明け方に、その崖の近くを船で通った時、その磨崖仏が「動いている」のに気がつきました。
目の錯覚かと思いましたが、座礁しないように注意深く舟を近づけると、確かに仏像が動いています。
上半身から崖からぐっと離れて、海面に顔を近づけて海水を飲んでいたそうです。
凪いだ静かな夜だったので、ごくごくと喉を鳴す音も聞こえたそうです。
その漁師は怖くなって、静かにその場を離れました。
このことを翌朝家族の者に話したあと、その人は、だんだん頭がおかしくなっていきました。
急にふさぎ込むようになって、会話が成立せず、不器用になって仕事にも支障がでるようになりました。まだ若いのに。
家族の者たちが、近くの町の「脳病院」に連れていかねばならない、と話し合っていたやさきに、行方不明になりました。
数カ月後に、磨崖仏の近くの海岸に、彼の頭部のみが転がっていたそうです。
自殺か?他殺か?事故死か?まったくわからなかった。
仏の呪いだとも言われたそうですが、仏は呪ったり祟ったりはしないでしょう。
のちに、その磨崖仏は波浪による侵食が進んで気がついたときには海側に崖が崩れて砕けてしまい、石のみが波に洗われていたそうです。

372: 本当にあった怖い名無し 2018/12/11(火) 23:44:16.57 ID:LzyzcyEH0
石じじいの話です。

皆さんは流氷を見たことがありますか?
日本では北海道のオホーツク海沿岸で見ることができます。
オホーツク海に流れ込むアムール川からの淡水が海水と完全には混ざり合わなず、その海表面近くの水の層がより深い水塊と熱循環をしないので低温によって凍結するのだとか。

石じじいが北海道で知り合った人が以下のようなことを話してくれたそうです。
流氷がやってくると漁ができないので内地に出稼ぎにいかなければなりませんでした。
また、近づいてくる流氷に船が衝突して遭難することもありました。
流氷はやっかいな存在でした。
その流氷の上に「人」が立っているのが漁民に目撃されることがありました。
船に向かって手を振っていることもあったそうです。
流氷の危険を冒して救助しようとすると、その人物は消えてしまう。
助けようとして流氷に衝突してしまった漁船もあったとか。
アザラシやワシ(大型の鳥)の見間違いではなく、明らかに人間だったそうです。
その「人」は船に向かって呼びかけていたのですから。
(つづく)
(つづき)
救助のために船を近づけると流氷が衝突して遭難するというので、漁師はその「人」を無視するようになったそうです。
「人」は、流氷の上に見かけることが多かったのですが、おかにあがって来ることもあったようです。
夜中に村をひたひたと歩き回っている者がいるのを見かけて村人が誰何したら、その人物は逃走しました。
泥棒かもしれないと言うことで追いかけましたが流氷の海に走り込んでしまいました。
冬の海に入ると数分ともちません。
声をかけたのですが、振り向かず海の闇に消えたと。
ロシア人の漁師が言うには、大陸から流れ出してくる(?)流氷の中にそのような「人間」が入っていて、それが海で氷から出てくるのだ、ということだったそうです。
たまにそんな「氷の中の人間」があらわれる、と。

376: 本当にあった怖い名無し 2018/12/12(水) 12:31:35.17 ID:D2PxnEm00
石じじいの話です。

これは、一部の人々の口に伝わっているもので、町史などには触れられていない話です。
「飢饉」ということをご存知でしょう。大規模な自然災害です。
江戸時代の四大飢饉などは有名で、多くの餓死者、難民をだしたました。
じじいが住んでいた一帯でも例外ではありませんでした。
特に、亨保十七年の「亨保の大飢饉」(1732)は、大きな被害をもたらしました。
西日本を襲った大規模な飢饉です。当然、江戸で暴動が起きました。
前兆は、すでに四年前の亨保十三年からありました。
大雨が降り続き農耕地に甚大な被害がでます。
この天候不順は、十四年、十五年、十六年と続きます。
そして、十七年がやってきます。
暴風雨に加えて大量のイナゴが襲来します。
これは中国地方で発生したものが移動してきたものと考えられています。
イナゴの群によって空は暗くなり、地上には青いものは皆無になったと。
この被害で、藩の収入の91%が失われ、その後の一年は、まったくの無収入となりました。
しかも、幕府から多額の援助金を借りることになったのです。
その藩からは餓死者が一人も出なかったことになっているのですが、疑わしい。
(つづく)

377: 本当にあった怖い名無し 2018/12/12(水) 12:31:57.88 ID:D2PxnEm00
>>376
(つづき)
ここから怖い話です。
生活に窮した人の中には、寺にあった「即身仏」を食べた人があったそうです。
空腹に耐えきれず、仏様も許してくれるだろう、と考えました。
仏前でお経を唱えて、その許しを乞い、即身仏を取り出して解体しました。
それを煮て食ったそうです。
そのような処理された?ミイラを食べることができたのか?(栄養があったのか?)は甚だ疑問ですが。
即身仏があった寺の住職は、どうしたのか?これも疑問です。
これを承諾したのか?
その後、関係者に仏罰が下るということもなかったようです。
しかし、その寺は、後に裏山が崩れて崩壊し、その残骸の上に新しい寺を建てることになったそうです。
大雨でがけ崩れ(地すべり)が起きることを、その地方では、「つえがぬけた」と言います。
まあ、即身仏食事件とは関係ないのでしょうけど。
そのため、古い寺の資料は大半が失われており、残った文書にも当然そのような記録はありません。
ただ、近年、寺の畑を開墾した時に地中から瓶が出てきて、その中から「極秘文書」が見つかりました。
そこに、おそらく当時の住職が書きつけたであろう、食事件の顛末が残されていたそうです。
その文書には、即身仏を食して死を免れた人々は年老いてから「XX」した、と書かれていたそうです。
実際に「XX」と書かれていて、それが何を意味するのかは不明だったと。
その後どうなったか?は伝わっていないようです。

378: 本当にあった怖い名無し 2018/12/12(水) 18:54:15.69 ID:Vu6bEAyV0
>>376
四国の即身仏なら生きたままお経を唱えて餓死したものだろうから干物と一緒で
食べても問題ないだろうな栄養もそれなりにあるだろう。
蝗を食べるという発想はなかったのかな?


381: 本当にあった怖い名無し 2018/12/13(木) 19:10:32.05 ID:2rU7nJaZ0
>>378
イナゴは食べなかったのか?
これは尋ねたことがあります。
即身仏を食ったのは、イナゴを食べつくしたあとだったそうです。
イナゴは一度に大量にやって来ますが、継続的には来ない。
また、大量なイナゴの死体を保存する手段がないので、ほんの一時的な食料にしかならないのだとか。
調味料などもありませんし、脱水加工している余裕もない。
江戸時代の話ですね。
田舎では、いろいろなものを食べます。
都会では「珍味」と言われるようなものでも、田舎では普通の食材です。



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