霊感祖母と幽霊伯母

霊感主婦さん

私の祖母が亡くなる半年ほど前のことです。

例によってよくある金縛りでしたが、地下鉄車内でそれはきました。
月末の残業でぼろぼろに疲れている金曜の夜です。腹ただしく必死になって振り切り帰宅。旦那さんに晩御飯食べさせてソファにグッタリ。それは意外にしつこく、また、金縛りです。
目を開いたままで金縛りになりまして、流石に旦那さんも気付きました。
お念珠と深川不動さんのお浄め塩を仏壇の引き出しから持ってきて、私の手に持たせてくれました。手慣れたものです。

金縛りの間は端から見れば、ただボケーっとテレビ見ている状態。では、なぜ旦那さんが気付くかというと、妻の眼球が動いてない。妻の付近の空気がヒンヤリしている、って事です。

金縛り最中に私は、祖母と駄菓子屋にいました。幼い私は祖母と手をつないでお菓子を選んでいました。ふと、違和感を覚えて目をあげると、壁に貼り付けられた『あんこ玉』『きな粉棒』『あんず』とか書かれた紙か、皆『般若心経』になっています。
驚いて祖母を見上げると若いんです。二十代の祖母をはじめて見ました。
そして、私であるはずの幼児が振り向きました。
私ではなく、大きな 瞳の女の子。その子が私に言いました。

『すみちゃんの!かえして!』

祖母と女の子は店の外へ出ていきます。私は追いかけます。石段が長く長く続いていて、ゆっくり上がっていく二人か驚くほどのスピードで離れていきます。

その時、私の手に温かい何かが触れてびくっとしたら、旦那さんの手に念珠と浄め塩があり、私に持たせてくれてました。

父方の伯母は三歳で亡くなったのでした。あまりにも不安で、翌朝実家に向かいました。厳冬の北関東、めっちゃきつい寒さです。帰宅し、仏壇に線香をあげて、茶の間に入ると祖母が炬燵に寝転んでいました。

『おかえり。きたのか?』
『ただいま』

祖母は起き上がり、

『きたのか?ちゃあチャンとこへ。』

私は泣きそうになりましたが、頷きました。

『バアちゃんとこへは正月から来たぞ。』

私はその時にお正月の祖母の意味深な発言を思い出しました。

『ちゃあチャンと何回合えっかなぁ。』

東京に戻る私の髪を玄関前で撫でながら、祖母は他の家族から聴かれないように囁いたのでした。

『ちゃあチャンとこへは、二ヶ月遅れのお知らせだねぇ。死病に取り付かれたからね。諦めてちょうだいねぇ。』

祖母は茶飲み話でもするように笑って言いました。

母親にお願いして週明けに祖母を病院に診察にいかせました。すぐ検査にまわされましたが、肝臓癌でした。三月から入院。開腹しましたが、どうにもならず。そして辛い辛い闘病。
八月朔日に祖母は亡くなりました。最後まで強くて、激痛に意識も薄れてしまうはずなのに、注射器(モルヒネ?)持ってやってきた医師へ向かって
『先生、それは、無駄ってもんだよ。』
とか言ってました。

幼い頃に、虚弱な体質でおまけに霊感のせいで『キツネ憑き』と噂になり母親に疎まれた私を育ててくれたのは祖母でした。
沢山の愛情で守ってくれました。多少他人と異なる感受性を持つゆえに謗られる事がないようにと生き抜く術を教えてくれました。
夭折した伯母が霊魂となり、彼女の母親に甘えて育つ私をどう見ていたのかはわかりません。
きっと彼女は、80年近くも待っていて、母親にようやく甘えることができたって事ですかね。

祖母は亡くなっても、私と繋がっている気がしています。今でも。





NGHにて人間の怖さを味わう

霊感主婦さん

宝石関係の仕事をしている時、あるデザイナーさんに誘われて彼の助手に転職しました。御人好しのデザイナーの先生は、私を雇うチョイと前に、怠け者につけこまれ営業部長として採用してしまったのでした。私は採用時から、そのオッサンのバックレた仕事を負担するはめになり、かなり出張が多く、1ヶ月で九回も出張にでる始末。日本中の取引先を点戦して売上をつくっていました。

最大の取引先である宝飾品卸会社S商事は顧客の小売店と彼等のエンドユーザーのVIP客を招く展示会を全国的に開催。
S商事の店舗卸部、担当営業マン鈴木さんは、転職前からの旧知の間柄。宝石の業界は広いようで狭いもの。彼はO社やC商事でキャリアを積んだ有能バリバリの営業。私は一時期フリーランスの高額のギャラの販売員で名前が知られていました。

彼の依頼でN市の展示会(三日間開催)に出張した時のこと。
宿泊先に着いたのは、会場設営や食事兼打ち合わせを済ませた後でした。
偉いさん達だけは展示会場の高級ホテルに宿泊。
戦闘員(営業マン、販売員)はビジネスホテルですが、S商事の営業古株とご年配の販売員さんは、私や鈴木さんの泊まるホテルの筋向かいの古いホテルに入りました。何故かNGホテルには、私と鈴木さんだけ。あれ?なんでかな?と少し思いました。

ロビーに入るなり違和感がありました。鈴木さんがチェックイン手続きをしてくれている間に、それをみてしまいました。
黒い人影が廊下をスィーってロビーまでお出迎え。
鈴木さんは、私に気を遣って5階、私の部屋は7階(私は販売員でも最若手でした)。
二人でエレベーターに乗りましたが、背後には黒い奴が。喜んでよいのか、奴は鈴木に付いて5階で降りていきました。
翌日の準備、報告書など少し仕事をして入浴後に時計を見たら深夜2時でした。5時には起きなければなりません。7時から仕事ですから。
ベッドに入る前に座った状態で金縛りになりました。
黒い奴は目の前に来てしまいました。奴の足らしきものが見えています。
私は暫く耐えましたが、早く寝なくてはいけないので知ってる護真言とお経をぶちまけて蹴散らしました。
黒い奴は飛び散るように消えました。
鞄からお浄め塩と念珠を持ち出し、壁、ドア、窓、絨毯に撒きながら護真言唱えて寝ました。

翌朝、7時から会場に入り商品展示完了。S商事のペーペーの営業マンの若者(たぶん、私とタメ)が8時に来たので、私の売場をお願いして身支度のためホテルに戻りました。展示会は10時からなので、化粧して派手な黒いドレスにピンヒールの出で立ちになります。(スッピンでジャージが作業服)
身支度して出かけようとロビーに降りたらホテルのカフェに鈴木さん。
顔色がすぐれません。私は心配になって話しかけました。
「どうかした?」
「出たんだ。俺って霊感あるからさ…昨夜の夜中2時半頃に金縛りだよ。それから恐くて寝れなくてさ。最悪だぁ」
私は自分の霊感については仕事仲間の彼等には話さないと決めているのでだまっていました。
鈴木さんは、ホテルのフロントに部屋を代えてもらいにいきました。
「一部のお客様から苦情は頂いていますが、7、8階には無いはずです。」
彼は8階の部屋になりました。
フロントの話では、4階、5階、6階に苦情があるそうです。
しかし、その夜中も鈴木さんは金縛りで怖いめにあいました。私は前日の寝不足で10時には就寝。しかし、夜中2時に部屋の電話で鈴木さんに起こされ、私は仕方なく、残りの塩と念珠を提げて彼と部屋を代わりました。部屋の前で彼は真っ青な顔色で座り込み、私に詫びをいいました。
取り合えず、7階の部屋に彼を入れて廊下からドアの前を浄めたから、寝るように伝えました。
黒い奴は7階廊下を徘徊していました。
私は、眠くて不機嫌でした。ジャージの女の子が怒りながらホテルの廊下をドスドス踏み締めて歩き、護真言をブツブツして念珠振り回す…きっと防犯カメラには奇行として写ってしまいましたね。私が歩むにつれ、黒い奴はズルズルと後退していきました。廊下の隅っこで塩をぶっかけたら消えました。
エレベーターで8階にいき、廊下からドアを塩で浄め、部屋の中も撒き散らしてから寝ました。

翌朝、鈴木さんはやはり眠れなくてフラフラはしていましたが、部屋をかわってからは金縛りはなかったといいます。まだ、二泊しないと東京に帰れません。
寝不足もあり、彼のやつれ方は気の毒でした。

今回の展示会にS商事が雇ったフリーランスの販売員の中に知り合いがいたので、彼女やS商事の他のメンバーの宿泊先に空きが出ないか聞いてもらいました。展示会初日が終れば帰る人があるかも知れません。
全てS商事が押さえた部屋なので、泊まる人をチェンジすることも可能なはずです。頼んだ相手は、展示会場の隅っこで私に囁きました。

「古株さんとか、何気なく聴き廻ったらね、鈴木さん大会社からの転職じゃん、男の陰湿ないじめにあってるのよ。」
私は驚いて彼女を見つめました。
「だからぁ、わざと出るホテルに部屋を割り当てたのよぉ。」
「私は?私はナンデ?」
「あんた、鈴木さんの知り合いだから巻き添えよ。チョイと噂よ♪出来てんのかってさ。」

その夜は鈴木さんが眠れるように、7階の部屋で、彼の前で浄め塩撒きと護真言を唱えてあげました。
その夜からは何も起こりませんでした。
宝石関係の仕事仲間で、私の『奇行』を目撃したのは彼だけです。彼には口止めしました。
彼はいじめにあっているとは気付かずにその二、三年後独立して会社を起こしました。
念のため、私は仕事仲間内において全く恋愛はしないので、できてはいません。

後日、NGホテルに私が宿泊した事を先輩方から探られました。フリーランスの宝石販売員には霊感強い人が多くいるのでNGHは出るホテルで有名だと知りました。森クミさんもラジオの怖い話のネタになさったと聴きました。

一番怖いのは、人間の悪意です。





ぱぱばあん家の時計

名無しさん

いつも楽しく拝見しています。
初めて怪談(?)を投稿させて頂きます。よろしくお願いします。

「ぱぱばあん家の時計」

怖くはないですが、唯一人に話せる怪談があります。

父方の祖父は私が物心つく前に亡くなり、祖母は独り暮らしでした。
とは言っても私の父の実家(祖母宅)とは近かったので、月1くらいで遊びに行っていました。
私の家にはTVゲームが無かったので、私と兄は祖母宅に着くや否や叔父の部屋のPS2でずっとサルゲッチュをしていました。今にしてみればかわいくない孫でした。
少し口うるさく無愛想なところもあったけれど、祖母なりに可愛がってもらっていました。

ここからが本題なのですが...

そんな祖母に5、6年ほど前から認知症が出始め、老人ホームに入ることになりました。叔父も家を出ていたので、祖母が暮らしていた家には誰も住まなくなりました。

祖父の仏壇のある部屋には昔から壁掛け時計があったのですが、祖母が老人ホームに暮らし始めてからは止まっていました。(電池は入れっぱなし)

老人ホームに入って約1年後、祖母は転倒し、意識不明の重体になりました。医師の説明では、救命措置でしばらくはなんとか生きていたそうですが、私達が駆けつける前に祖母は亡くなりました。

葬式を終え祖母の家に入った時、時計を見た父がこう言いました。

「あの時計、ぱぱばぁ(祖母)が意識を失った時間で止まってる」

祖母が生きていた時から止まっていたので、転倒する時刻を予言していたことになります。
私はあまり恐怖はなく、「大きなのっぽの古時計みたいだ」と、むしろちょっと感動していました。

その後も家は残し、時々父が風通しに入っていました。
お盆に墓参りついでに入ったら時計が動いていたそうで、父もさすがに怖くなり電池を抜いてしまったそうです。

余談ですが、現在はその家に家族で暮らしています。
誰もいないと時々全裸で過ごすのですが、祖母が居るのだとしたら恥ずかしいです。



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