バザール・バーザル

名無しさん

私が小学校5か6年生の頃に流行った聞いたら呪われる話を聞いて起こった出来事です。

季節は夏休み明け頃。当時通っていた塾で同級生からその話を聞きました。
当時の大抵のこの手の話は呪いを解くために呪文を唱えるパータンで
話し手が呪文を焦らして教えず、聞き出してみると呪文は「ウソ」というオチでしたがこの話は違いました。
なんでも聞いた人の家に夜中の3時頃、何者かが壁を三回叩くので呪文を三回唱える事。
唱えなければ死ぬ(違ったかも)という内容でした。

たまに怪異にあうので、とても怖がりだった私は枕元に母がおみやげで買ってきた小さな数珠の身代わりのお守りを包装されたビニール袋のまま置き、2日間を震えて過ごし最後の三日目の夜にそれは来ました。

当時、家の構造の都合で同じ部屋で妹と私で祖母を挟んで三人川の字になって寝ていたのですが
その日は前日まで怖くても0時過ぎには眠ってしまっていたのに2時半を過ぎても眠れません。
時計の音がとても大きく聞こえて怖くなり、ちらちら壁掛け時計を確認しながら3時が過ぎ去るのを祈っていました。

2時50分を過ぎた時、突然ひとつの壁ではなく四方の壁と天井が三回ドカンドカンドカンと轟音を立てて揺れました。
私が唖然としていると、もう一度三回。
全て外側から同時に壁などの面全体が鳴るように。

恐ろしくなり起き上がって、祖母を呼びながら起こそうと必死で祖母の体を揺するのですが手応えが変なんです。
表現しにくいのですが生きてないというか…人ではなく肉の塊という感じですか。
すごく重くて床や布団と同化して塊になってしまったような不気味な感じでした。
そもそも祖母は戦時の空襲や、昭和東南海地震のせいで私がトイレに行く足音だけでも起きてしまう人のはずなのに音にも私の声にもなんの反応もありません。

向こう側の妹を起こそうともしましたが、怖くて立ち上がれませんでした。
周りの空気もおかしく、全てが私を残して止まって固い何かに変わってしまっているようで
当時の私の頭にはひっくり返らないポドリアルスペースw?ような変な空気でした。

もう一度部屋が轟音をたてて三回鳴ります。
私はとにかく怖くて布団を被り、祖母の腕にしがみつきながら怖くて声が出なくなったので、呪文を頭の中で三回ずつ唱え続けました。
それ以降、何も起こらず隣の部屋のボンボン時計が5時を告げたあたりで寝てしまったようです。

夜が明けて祖母も妹も何事もなかったかのように起床し、私もホッとして起き上がろうとするとゾッとしました。
枕元にあったはずのお守りが包装ごとなくなっており、誰も知らないとの事。
夜中の音に関しても知らないと言われました。

学校で同じ話を聞いた友達に話すと、うちには来なかったと言われました。
その後、この怪談は学校中ですでに流行っており毎日集団登校で下級生が話を端折って呪文と三日以内に~のくだりを面白半分に叫んでいて、登下校中黙らせていたのを覚えています。
夜中に来たあれと、呪われる話が関係あるかはわかりません。

この話はここで終わりです。

尚、怪談好きの友人何人かに同様の話をしても何も起こっていないので
これを読んだぐらいではなんの影響も無いはずですので御安心を。

件のお話自体は恐怖のせいか、ほぼもう忘れてしまいましたので省略しました。
「バザール」または「バーザル」という話で広まっていました。
数年前に「バザール」でググった時には洒落怖まとめ等にもあったみたいですが怖くて読めず、最近改めて検索するとババサレばかりで見つかりませんのでお話自体に御興味ある方は自己責任でお調べください。

確かおばあさんの猿が出てくる話で、オチが血で壁にバザールと書かれる所で終わる話だったと思います。
当時住んでいた場所は86~87年頃の愛知県西尾張地方です。





ほしのみや駅→つきのみや駅

名無しさん

先程の話と少し被ると思うですが専門学校生だった94か95年頃のお話です。

かつてJR東海道線の岐阜から東京間を走っていた各駅停車の大垣鈍行という夜行電車を御存知でしょうか。
外装も内装も銀河鉄道999の客車のような木製板張りの床木製のリクライニングしない板の背もたれに
緑の薄いクッションの旅客座席の古い電車が昔あったのです。

当時、18切符を使って私は学校の友人3人と某イベントに薄い本を売りに行っていました。
夏にあった事です。

名古屋で列車に乗った私達は列車が全席自由席で、座席は満席で席が空くまで他の旅行客と同じように床に座っていました。
豊橋駅の前のなんとかいう駅で目の前で一人で座席で寝ていた酔っぱらいが降りていき私達は座席に座れました。
そこでコピー本を作っている友人を眺めているとアナウンスが順番違っているかもですが
豊橋→蒲郡→三河安城…(尾張が付いてたかも)星の宮→月の宮…浜松
と告げていました。

しばらくして友人達は眠ってしまい、コピー本も作り終っていたようです。
私は目が冴えて寝れなかったので窓の外を眺めていました。
またアナウンスが「??の次は星の宮→月の宮→…浜松…」と告げます。
星の宮に月の宮…ロマンチックな名前の駅があったもんだと思っていると星の宮に着きました。

車窓から見たホームの向こうは建物も山も無く、真っ暗でおそらく海があるようでした。
とても静かで照明もほとんど無く、無人駅なのかもなと思い眺めていると列車は発車し「次は月の宮」と聞こえ、間もなく月の宮に停車しかかりました。
そして10数分の長めの停車とのアナウンス。
星の宮よりは大きな静かな駅でした。

車窓から見た風景は
西方向に山をバックにした真っ黒な高層ビルとその頂上にモスクのような潰した球形の小さな塔が2つ乗っていて、未来の方のコナンのビルみたいな不思議な建物東方向に高速道路のようなジャンクション
北側に多数のガラス張りの高層ビル郡が立ち並んでいてビルの光のせいか空が赤黒く不気味でした。

現在の浜松駅の似ているかもしれませんが線路は二本のみで、なにより浜松駅との違いは西の名古屋方面に山が見え、到着直前にトンネルをくぐりました。
北の高層ビル群もあちらにはないはずです。

グーグルで見ると浜松駅西には山もトンネルもないと思うのですが…。
ホームも浜松はたくさん、こちらは下りと上りの2つしかありません。

車内はエアコンも無く懐かしの天井扇風機があるだけで私はひどく喉が渇いていましたので、駅の自販機に行こうと席を立ち、正面座席の眠っている友人に声をかけておこうとすると起きてくれない。
何度か泊りがけで彼の家にお邪魔した時にはわりとすぐ起きる人だったのに。
他の二人は起こすと怖い人だったので、この友人を強引に起こそうと申し訳ないけど強く揺すった所、友人の体から嫌な手応えがしました。

先述の祖母と同じ手応えだったのです。
他の二人も突いてみましたが同じで起きません。他の客も寝ているようで誰も降りる人はいないようでした。
気がつくと空気もあの時ように固まり、嫌な気がしました。
友人を起こすのを諦めて、私の目前でドアが開くとホームは昔の歌番組のステージのような膝下数センチのスモークが漂い電車のドアが開ききるとスモークが晴れて道ができるように、足元から奥へ、左右に開きながらウネウネと消えていきました。
初めて見た現象だったので少し感動したのを覚えています。

ホームには何もなく、少し暗い照明が着いていて2・3両先頭方向に自販機があり
支柱一本先に薄めの黄土色のスーツを着た男性がタバコを吸っていました。
私は電車を降りたのですが、男性の方向へ少し歩き出すと発車時間までに戻れない気がして不安になり自販機を諦め車内に帰りました。

しばらくして電車は走り出し浜松へ。浜松は今回の一行とは別の友人の出身地だったのであいつはここの生まれなんだなと到着時に目覚めた皆で話していたので駅を間違えてはいないと思います。

そして時が流れて、しばらく私は東京に住んでいました。
しかし数年前、また実家の愛知の田舎に引っ越しそこから某イベントに参加する事になり
せっかくだから思い出の夜行電車で参加しようと思ったので調べてみると、大垣鈍行は無く大きな駅数カ所のみ停車するムーンライトながらという電車に変わったそうで
乗る前に懐かしくてグーグルマップで線路沿いを眺め、星の宮と月の宮を探したのですが見当たらない。
不思議に思ったので検索すると、オカルト関係の物がたくさん出てくる。
月の宮はオカルトで、星の宮は全然関係のない逆方向の路線に尾張星の宮駅があるという事がわかり驚きました。
それから何度か時間に余裕がある場合はわざと鈍行で名古屋東京間を行き来しています。
話はこれで終わりです。





幽霊馬車

madotsuki2さん

 私の母は幼い頃、私にとっての祖母の姉つまり母の伯母(以下、大伯母)のところへ預けられていました。大伯母の家はつい10年前までも家の庭で鶏や豚、牛を飼っていたほどの田舎の村でした。
 張芸謀監督の映画「初恋のきた道」をご覧になったことはあるでしょうか。ちょうどあのような暮らしです。

 当時は村のほとんどが家の家畜や畑で自給自足といった生活でしたが、最低限の生活用品や現金を得る為に、数ヶ月に一度家で採れた野菜や果物を持って歩いて半日程かかる距離にある隣町の市場まで行っていました。
 これは大伯母とまだ幼かった母が二人で市場まで行った日の帰りに起こった出来事を、母から聞いたものです。

 その日もいつも通り市場で野菜や果物を売り日用品の調達も終わり、大伯母と母は歩いて村への帰路についていました。村へ戻るには大きな雑木林を抜ける必要があり、一応隣町とのライフラインになっていた為、整備こそされていないものの、馬車や荷車が通るには充分な獣道があったそうです。

 雑木林を抜けているときには既に夕日が沈みかけ、ちょうど逢魔が時と言った頃合いでした。辺りは薄暗く葉擦れが聞こえ、空を仰ぐと黒い木々のシルエットの間から薄暗い空が見える、そんな景色、子供の頃の記憶に無いでしょうか。

 「暗いねえ」と母。
 「そうだね、早く帰ろうね。」

 そんな会話をしながら二人は手を繋ぎ歩いていたそうです。

 ふと、母は今まで歩いて来た方から馬車の音が聞こえたそうです。馬車と言っても簡素な荷車を一匹の馬が引いているようなもので、その馬の足音と荷車の車輪の音が背後の遠くから聞こえて来ました。

 「あ、馬車だ!馬車が来たよ!」母は大伯母に言いましたが、大伯母は黙っていました。
 次第に馬車が近づいてきて、馬の足音、荷車の車輪の音、それらに加えて御者のおじいさんでしょうか、「おぉーぃ!オォーィ!」という掛け声と共に馬に鞭を打つ音まで聞こえて来ました。

 「ねえ、お母さん(母は祖母のもとへ戻るまで大伯母が母親だと思っていたそうです)、馬車が来たよ。もう遅いし、乗せてもらおうよ。」
 母は大伯母に声をかけましたが、母の声が聞こえないのか、相変わらず黙ったまま歩いています。
 そのうちに馬車は段々と近づき、遂には大伯母と母の真横を抜き去って行きました。馬車が二人を抜き去る際に見た御者のおじいさんの顔を母は未だにはっきりと覚えているそうです。

 「あーあ、馬車行っちゃったよー。乗せてもらえば良かったのに。ねえどうして乗せてもらわなかったの?」駄々を捏ねる母に大伯母はやっと口を開きました。
 「いいから黙って歩きなさい。」
 大伯母はギュッと強く母の手を握ったそうです。

 その夜、大伯母はいつもより早く母を寝かしつけたそうですが、なかなか寝付けなかった母はトイレに行く為大人たちが集まっていた広間のそばを通ったとき大伯母が話す声を聞きました。

 「今日、雑木林で母子が幽霊を見た。馬車が来たと言っていたけれど、私には何も見えなかったし聞こえなかった。喋ってはいけないと思い、母子を引っ張って帰ってきた。」
 そのとき母は初めてあの馬車は自分にしか見えていなかったことに気がついたそうです。まだ幼かった為か、恐怖心もなく、今でも怖いと思っていないようです。

以上、零感で怖い話大好きな自分が同じく零感の母に怖い話聞かせてくれとしつこくねだり、唯一、そういえば、、、と思い出して語ってくれた不思議体験でした。
ありがとうございました。



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