905: 本当にあった怖い名無し 2019/08/18(日) 20:27:26.14 ID:uvmG6uRk0
石じじいの話です。

これは蒙古の話のようです。話の舞台が不明ですが、遊牧民が出てくるので、朝鮮での話ではないでしょう。
遊牧民がこんな話してくれたのだそうです。
ある家(といってもゲルという移動式テントですが)を訪れた人が、その入り口にある皮袋を見たところ、それは人間の皮だったそうです。
そのような皮袋は、家畜の皮で作り、馬乳酒を作るのにつかわれたのだとか。また、井戸から水を組むバケツがわりに使われたのだとか。
なぜ、それが人の皮だとわかったかというと、その皮袋には、腕も脚もついていたからです。
頭の部分は切断されてなくなっていた、その断面がそそぎぐちになっていました。
他の動物で皮袋を作るのと同じ方法で、頭を切って、そこから体の肉と骨をほじくり出して、袋にしたのだろうと思ったそうです。
皮袋には大きな縫い目がなかったのです。
すわ、この家のものたちはマハチンかっ!とその人は身構えました。
人間袋に気がついたことを、その家の人たちにさとられるとまずいので、我慢してしらばっくれていたそうです。
そうして、逃げ出す機会をさぐっていたと。
ゲルには子供がいましたが、その子が鼓を鳴らして遊んでいます。
その鼓をよく見ると、それは、人間の頭蓋骨を割ったものに皮をはったものだったそうです。
蒙古人が信じるラマ教では、処女の大腿骨で笛を作る、ということがあったそうですが、それとはちょっと違う。
これは、自分も太鼓になるかも知れんと思って、その人は便所に行くふりをしてゲルを出て、一目散に馬にのって逃げ出したそうです。
幸運にも、自分の馬がどこかへ隠されていた、ということはなかったのです。

903: 本当にあった怖い名無し 2019/08/18(日) 20:21:43.53 ID:uvmG6uRk0
石じじいの話です。

じじいが子供の頃の話です。
じじいの家には広い畑があり、そこで、いろいろな野菜を作っていました。
毎年、初めての夏野菜(種類失念)がとれたときに、それを収穫して「水神様」に捧げるのが、子供じじいの役目だったそうです。
皆様のところに「水神様」の信仰がありますが?
私の子供の頃にも、たとえば、池や川にションベンをひりちらかすと、水神様が怒ってバチがあたる、と言われたものです。
チXコが腫れる、というのがバチである場合も、もっと「怖い」バチがあったことも記憶しています。
そのため、今でも、水がたくさん溜まっているところに小用を足すことをひかえます。
さて、毎年、子供じじいは、作物のいくつかを紐で縛って、近くの大きな川に流しにいったそうです。
それは、流れていくのですが、まあ、あまり距離を運ばれないうちにどこかに引っかかってしまっていたでしょう。
それでも、そうすることで水神様にお供えができるのだ、ということでした。
ある年、じじいは、思うところがあって、そこらへんの木の枝でナイフで「仏像」のようなものを彫っていました。
じじいは、かなり器用だったのです。
それを、そのお供えものの野菜と一緒に川に流したそうです。
別に、流すために「仏像」を彫ったわけではありませんでしたが、まあ、なんとなく、という感じだったと。
その仏像に、自分の名前や、お祈りの文句を墨で書き込んでいました。
(つづく)

904: 本当にあった怖い名無し 2019/08/18(日) 20:22:12.18 ID:uvmG6uRk0
>>903
(つづき)
戦後、じじいは朝鮮から引き上げてきて、「石拾い」の生活を始めます。
ある日、化石を求めて海岸を歩いていると昼飯時になったので、近くの漁村にあった店で、持っていた握り飯のおかずを買いました。
どこで昼飯を食べようかと思いながら、近くの寺に立ち寄ったそうです。
暑い日だったので、木陰があるといいな、と思ったのです。
その寺のお堂の縁に腰掛けて食事をしました。
ふと見ると、そのお堂には色々なものがお供えてあります。
古い人形や松葉杖もあったそうです。
そう、もうお分かりですね。
じじいが子供の頃に野菜と一緒に川に流した「仏像」が供えてあったのです。
自分が作ったので形は覚えています。裏を見ると、ほとんど消えかけていましたが墨文字が認められたそうです。
どういったわけで、自分の木偶がこの寺に供えられることになったのか?
「今も、あの寺にわしが彫ったほとけさんがおりんさるんで。」とじじいが話してくれました。

906: 本当にあった怖い名無し 2019/08/18(日) 20:29:54.17 ID:uvmG6uRk0
石じじいの話です。

これは満州の話です。
満州には、旧石器時代からはじまり各歴史時代の多くの遺跡があるのだそうです。
どるめん、と呼ばれる巨石を組んだ墓も多いのです。
契丹人の国、遼の時代の城壁が多く、それが、のちの金の時代にも人々によって再利用されていたとか。
満州に領土を有していた高句麗時代の城壁も多く、その城壁遺跡に寄りかかるようにして当時の満州人が家を建てていたそうです。
城壁を自分たちの家の一部(耐力壁?)として使っていたわけです。
そのような家には、よく化け物がでたそうです。
家の中で、城壁の方向にある部屋や城壁それ自体から夜な夜な人型の黒いものが出てきて、何かを話し訴えかけるのだそうです。
満州人にはその言葉は全く理解できなかったと。
近くに住む朝鮮人も理解できませんでした。
これはお祓いしかない、ということで祈祷師に頼んで拝んでもらっても効果なし。
道士をよんで、お祓いさせても効果なし。
道士の場合など、お祓いの後、数ヶ月して死んでしまったそうです。
まあ、その因果関係はあやしいのですが。
どうしても、出没がおさまらないので城壁の別のところに家を移したところ、その化け物は出なくなったということでした。
どうも、城壁の特定の場所で、そのような黒い人間が出ていたようです。
そのような満州人の村では、城壁遺跡のギリギリまで耕してコウリャン畑にしていたので、耕作作業中にいろいろな考古遺物が出土したそうです。
それらは、当時の日本人によって、さかんに購入されていました。


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