だから後々作られたいい加減なものだということ
ヲタ文化みたいなもの
本来は何の意味も持たない
それ言い出すと神社って本来建物が無いものだから施設に行く必要も無い事になるね
後々って具体的にいつ?
一般レベルで広まったのは平成入ってから
作られたのはいつかと聞いてる
いつ作られたのかは諸説あるけれども
確実に言えるのは神道そのもの成り立ちとは何ら関係がないということ
ガラガラ鳴らす鈴みたいなのどのタイミングで鳴らすのが正しいでしょうか?
ガラガラの鈴鳴らすのは最初の礼した後
ガラガラしてから二礼して二拝
最後に一礼が基本的な神社の詣り方
だと思うけど
儀式の始まりの合図だから一番最初らしい
明治期に神社本庁が決めたものだからな
結構最近までそんなうるさくなかったような
あれどこだっけ
ソースはwiki
再拝二拍手一拝
神社で行われる参拝作法「再拝二拍手一拝(さいはい・にはくしゅ・いっぱい)」など、3回以下のものは「短拍手・短手(みじかて)」と呼ばれる。出雲大社、宇佐八幡、弥彦神社の4回、伊勢神宮の8回など、4回以上手を打つものは「長拍手・長手(ながて)」と呼ばれる。他に、8回打った後に再度短拍手を1回打つ「八開手(やひらて)」もある。神葬祭で音を微かに打つ「偲手・忍手・短手(しのびて)」や、直会で盃を受けるときに一回打つ「礼手(らいしゅ)」などもある。現在のように再拝二拍手一拝にほぼ統一されるようになったのは、第二次世界大戦後の昭和23年になってからである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/拍手 (神道)
どうやったら自分の敬意を伝えられるか
一般的な作法をすることによって、自我を抑えて、神様の教えを素直に受け入れられる表現する。
手水舎の柄杓で手や口清める作法はかっこよくできない
「手洗いうがい」をする猛者もいるようだが
川越の氷川神社で何度かやっているが外国人の前でかっこよくできない
気にしてるかもしれないし
気にしてないかもしれない
そもそも神様もいるかどうかなんかわからない
初詣だって私鉄の販促キャンペーンで始まったもんだし
そんなもんだよ
周知徹底がそれってだけで決まり自体はもっと前からある
ただなあなあで済まされてたってだけ
冠婚葬祭全部意味ないことになっちゃうし
お前さんは知人の葬式にあんなの意味ないしって喪服着て行かんのか
賽銭も5円でいい
5円は意味ないらしい
ちょっと痛いくらいの出費のほうが意味あるらしい
だからおれは100円入れてる
それ意味あるの?
やることによって厳かな気持ちになり内なる自分を見つめ直すなら意味がある儀式になる
すべては気の持ち方だよ
ローカルなやり方がいろいろあったので全国どこでも使える標準型を協議して作った
標準型を制定したからって元のローカルなやり方を廃止したわけでもない
その神社独自のやり方があるならそれをやればいいし分からないならとりあえず標準型でやっとけばいいってだけ
その標準形とやらは何を根拠にして作られてるの?
元になったのは神職の祝詞奏上の作法「二礼、祝詞奏上、二礼、二拍手、一礼」
ここから最初の部分「二礼、祝詞奏上」を省いたものが現在の「二礼、二拍手、一礼」の作法
それじゃ省いて一礼だけでもいいでしょ
いいよ
元々一般の参拝者には定まった作法は無かったんだから
決まった形が欲しいという要望があったから神職の作法を簡略化したものが提案されたってだけ
調べたらそんな宗派は無かった
恥かいたわ
焼香の作法も難しい
そのとき見様見真似でやって終わりにしちゃうのがよくないんだろうな
本当は一つ一つの所作に意味があるんだろうから
的な事か
まあ現実問題そのとき見様見真似でやって終わりにしちゃうだろ
それは仕方ないよ
それも含めてレジャーだから
神社は今やレジャースポット
あと天保元年ごろの 『松の落葉』には
「正式には両段再拝(4回の礼)して八回拍手なのだが毎回そうもしておられず、二拍手が慣習」というような事が書いてあるそうな
こういうのを見るとやっぱり二礼二拍手二礼でいいんじゃねと思うんだよな
なんで今の作法だと最後が一礼なんだろ
平安時代
『日本後紀』
元日朝賀に渤海使(渤海より日本を訪問した使節)が参列していたため、日本式の天皇に四拝し拍手するのを省略し、当時の国際的な唐式の礼法にしたがい二拝した。
『内裏儀式』
元旦受群臣朝賀等に見える天皇践祚の宣命の後、参列の百官が拍手で答えた。
跪座で「八開手」を4回、字義通りなら32回も拍手したことになる。
『江家次第』
かなり複雑な組み合わせの神拝作法がいろいろ記録されている。
天保元年ごろ
『松の落葉』巻之二
「正式には両段再拝して八開手をうつのだが、朝毎に何かしらの神を拝むには毎回そうもしておられず、総じて二つうつのが慣習」というような事が書いてある。
明治8年4月
官国弊社の祭式を定める式部寮達(しきぶりょうたっし)
明治8年8月
教部省の布達(教部省達)として、全国各地の神社祭式に関しても「一社の故実に拠らず」官国弊社に準ずべしとされた。
神職の祝詞奏上や拝礼に関する作法としては「再拝拍手」とだけ記されている。
明治11年
伊藤博文は「一揖、再拝、二拍手、一揖」を正式な作法と言っていた。
明治15年
皇典講究所の講義では「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」が指導されていた。
明治40年
『神社祭式行事作法』
祝詞奏上の作法は「再拝、二拍手、押し合せ、祝詞奏上、押し合せ、二拍手、再拝」
昭和17年
『神社祭式行事作法』改正
祝詞奏上前後の二拍手と押し合せが削除される。
昭和17年
神祇院が「先再拝、次祝詞奏上、次再拝、次拍手二」という新しい作法を定めた通牒を出し、祝詞奏上後の拍手が公的に復活。
昭和23年
『神社祭式行事作法』改正
神職の祝詞奏上作法「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」が定められました。明治40年制定の作法に戻した。
標準語が作られても方言が禁止されていないのと同じ
>>220を見ると昔の人も「本当は四回礼だけど二回にしとくか」「八回拍手すんのめんどくせーから二拍手で済ますわ」とかやってたんだから好きにすりゃいいんだよ
そして大前提として拍手と礼を組み合わせて色々やるのは本来神職の作法であって一般の参拝者には正式な作法はないんだ
好きにしろ
いつの間にか落ち着くんだよ
キリストの生まれた日だっていつの間にか12/24と落ち着くのに近い
一礼で済ますとか拍手二回で終わりとかはいいけど「裸になっておチンチンぶるんぶんするのが俺流参拝」とかはダメでしょう

最近は境内に参拝方法がわかりやすく掲示してあったりしますね
とはいえ、それは一例として強制じゃないし
オチンチンぶるんぶんとかじゃなきゃ
咎められたり笑われることは無いと思いますけどね

マナー講師がアップをはじめそうな話題だな
参拝方法くらいは良いけどさ
賽銭の額まで口出されたら「うるへー!」って言いたくなるな
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Comment
あ、間違えた。221ね。
ぶるんぶるん神の気配を感じる
寺で二礼二拍手一礼する人は止めてほしい
寺なんだから合掌礼で静かに頭下げればいいのに
普通の人は神道系稲荷(宇迦之御魂)と仏教系稲荷(荼枳尼天)の区別はつかないか
以前の話しだしたら神社さんによってまちまちすぎたからね
3・3・7拍子みたいな打ち方するところだってあった
そうすると気軽に参拝できないってことでとりあえず統一してみましたみたいな。
まあいいんだよ。礼の心があれば。
後々作られた物や作法に意味が無いなら
そういう生活したらいいよ
その分税金を無駄遣いしなくて済むからさっさとやってくれ
神様に対しての開けゴマみたいなもんやと、神主から聞いたぞ?
それなりに縁があってガキの頃は神主さんとかよく家に来てたけど、二礼二拍手一礼なんて会社入るまで知らんかったわ。
柏手打つのに手を少しずらしたのは覚えてる。
白ちゃんも黒ちゃんもTNTNぶるんぶるんごときではひるまないんだよなぁ
場所によって違ったりするしな
まあ気持ちですよマインドですよ
どっかのオッサンが適当に決めたルールだから気にしなくていいぞ
守りたい奴が守ればいいだけ
祭神が荒ぶるんぶるん神の場合はそれが作法だぞ
子供の頃近所にいた大正生まれのお婆さんは手二回叩いて社の後ろに回って礼して一周してまた表で手二回叩いて帰ってたな
山で小を催したら山側を向いて致さなきゃならないどどこかで見たぞ、ぷるんぷるんは作法
細かいことにこだわらず気軽に来てもらったほうが
神社も神様も嬉しかろう
無駄ってことはない。
ようは、神様に頭を下げて敬うのを形にすることなんだから。
私はいつも御手水だけは必須、あとは適当に柏手って頭下げてる。5年前くらいからしてるかな?
おかげで神様に目をかけられてるっぽいことが増えた。
御手水の水道蛇口出しっぱなしの時に何回か呼ばれた気がするのは、ほっこりした。そのあと行った内見で事故物件(のちに水没物件と判明)や事故物件(二人飛び降り)の時に忠告してもらったっぽくて、霊感がないからとても助かった。
各神社によって礼や拍手は回数が異なるし
5円に至っては昭和中期以前は無かったそもそも江戸時代に5円など存在しないし昭和初期までは5円と言えば大金だった
昭和中期以降に5円の風習が根付いたのだと聞いた事がある
理由は至って日本人らしい発想で1円では神様に無礼だからという事らしい
それを更に正当化してもっとらしく5円と御縁をかけた
神社側からすれば百円の方が良いに決まっている
拍手の意味は神の出現を喜ぶ表現。
天照皇大神が天岩戸から出で来られたのを八百万の神々が手を打って喜んだ事に始まる。
だから拍手の数はさして重要では無く、大切なのは敬う心だとまると皇學館の教授に聞いた。
厳かに格式高くってのは本職に任せて、庶民は広がっているものを適当にやらせて貰えば良いんじゃない
ちなみに最古の記録は魏志倭人伝。
※20
サンキュー陳寿
最後一拝
って知らないヤツが
ごちゃごゃぬかすな
ウズメがぶるんぶるんしているんだから男がやっても問題ないと思うの
へりくつみたいなのばっかり。ムダにもめるだけなのにね。みんなやってるんだから、それでいいじゃない?
こういう屁理屈を言い始めたら
日常生活に欠かせない作法やマナー
地域に根付いた風習や慣習
その国の伝統的な神事や祭事
はては人の社会を成り立たせている法律や規則
こういったモノが全て「人が勝手に作りだしたモノで無価値だぞ」って事になるのだが
「モノの価値」というモノは「人の価値観」が創り出すモノ
自分の目の付け所スゲーだろってスレ建てたんだろうが
単に自分の無知蒙昧さ、無価値さを自らアピールしただけだったな
ご焼香は額に当てると言うか上に掲げる動作があるところもあるけどどう調べたらそんなものはないになったんだろ
もう一年以上毎日欠かさず神社にお参りしてる(風邪で4日間だけ休んだ)
いろいろあって人生観どころか世界観が変わりました
ある程度由緒正しい神社に、騙されたと思って毎日お参りしてごらん
少なくとも「目に見えて運がよくなる」程度のことは起きます
焼香は俗世の汚れをお香で落とすのが目的だから、焼いたあとに煙を鼻のほうにあおいで吸うのがいい、って葬式のときのお坊さんが言ってた。
ヲタ文化みたいなものってのは言い得て妙だと思う
弥彦は四拍だったのか。
子供の頃にしか行かなかったから気にしたこともなかったな
マナー警察はマジで死ねばいい
ここ最近で広まったように感じるのは
常識クイズみたいなのでテレビが度々取り上げたせいだと思う
由来なんて言い出したら…
葬式 仏陀は弟子に葬式をするなと指示、その効果も否定
お経 仏陀は呪文の類を否定、効果あるの見たことないと語る
戒名 中国で出来たもので仏陀と無関係
飲酒 仏陀は酒を飲むような人間は地獄行と語ったのに日本仏教ではほぼ禁止されてない
やりたいようにすればいい
強要する奴は死ね
そこで背景やらなにやらきっちり説明できたらいいのに、
意味ないよだけとか子供か
神様と約束した挨拶のやり方の一つだろ。
二礼二拍手一礼は神様の御神力を頂く形らしい。
>>1
何の意味もないと思っているのはてめえだけだアホ。
あれこれ言い出したら宗教自体無意味になるやろ自分の信じる事すればいいんや。
※33
仏陀の話は弟子が相当弄っているからな
呪文も効果が何もなければ1000年以上も受け継がれないよ
無駄とは思わないけどさ、
「神社の参拝マナーはこうだ!こんなことも知らないのか!」
って威張ってるのがいるから、気持ちの問題だって言ってるんだろ。
そうやって「神社で正式なお参りしてる俺カッコいい!」とかさ、
そっちのほうが神様を敬ってないよな。
二礼している時の間がどうにもスマートじゃないなーって常々思ってる
「一回…二回…」って頭の中で数えちゃうし
儀式っぽさ優先になってる気がしてモヤモヤする
この程度の常識知識知らないやつ多いんやね。
まあ、意味ないというのは語弊在りまくりやが、
共通作法としての121は明治からだよ。