20151213_higashiharaaki_38

過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:02:28 ID:FJH
ロマンあるンゴねぇ

なお聖徳太子自体も存在はあやふやな模様

31: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:33:04 ID:6nd
空白の4世紀とかいう厨二心をくすぐる言葉

2: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:03:38 ID:6t5
厩戸王やぞ
聖徳太子
聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))は、飛鳥時代の皇族、政治家。厩戸皇子または厩戸王の後世の呼称。本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。

大山誠一による聖徳太子虚構説
大山説の概要「有力な王族厩戸王は実在した。信仰の対象とされてきた聖徳太子の実在を示す史料は皆無であり、聖徳太子は架空の人物である。『日本書紀』(養老4年、720年成立)に最初に聖徳太子の人物像が登場する。その人物像の形成に関係したのは藤原不比等、長屋王、僧 道慈らである。十七条憲法は『日本書紀』編纂の際に創作された。藤原不比等の死亡、長屋王の変の後、光明皇后らは『三経義疏』、法隆寺薬師像光背銘文、法隆寺釈迦三尊像光背銘文、天寿国繍帳の銘文等の法隆寺系史料と救世観音を本尊とする夢殿、法隆寺を舞台とする聖徳太子信仰を創出した。」
反論
遠山美都男は「『日本書紀』の聖徳太子像に多くの粉飾が加えられていることは、大山氏以前に多くの研究者がすでに指摘ずみ」としたうえで、「大山説の問題点は、実在の人物である厩戸皇子が王位継承資格もなく、内政・外交に関与したこともない、たんなる蘇我氏の血を引く王族に過ぎなかった、と見なしていることである。斑鳩宮に住み、壬生部を支配下におく彼が、王位継承資格も政治的発言権もない、マイナーな王族であったとは到底考えがたい。」「『日本書紀』の聖徳太子はたしかに架空の人物だったかもしれないが、大山氏の考えとは大きく異なり、やはり厩戸皇子は実在の、しかも有力な王族だった」と批判している。

大山の史料の恣意的な用い方や美術史の成果を無視する等の問題により、現在の歴史学会では無視されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子

no title
6: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:08:25 ID:FJH
>>2
厩戸王は実際におったんやっけか?
この辺の認識が曖昧ですまんな

3: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:04:08 ID:ynt
仏教伝来時期の前倒しか

5: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:07:21 ID:YUi
どういうことや?

9: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:10:30 ID:FJH
>>5
卑弥呼が存在していた(らしい)時代から聖徳太子があれこれやってた時代までの約400年間の記録が残ってないらしいのよ

13: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:17:27 ID:YUi
>>9
はーそうなんか…
ヨーロッパとかだと細かく沢山記録あるんやけどな

18: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:20:48 ID:FJH
>>13
この400年間の間で中国からの冒険家なり使者が来て記録でも残しておいてくれてたら良かったんだがなぁ

8: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:09:25 ID:OhX
大体はこんな流れだったのではないかという年表の下敷きみたいなのはあるが
細部をどうするかで研究家達が大揉めしてるため空白だらけと聞いた

10: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:10:49 ID:gh1
古事記・日本書紀「…」

12: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:17:20 ID:FJH
古墳調べても分からんものは分からんしなあ

場所によっちゃ調査禁止やし


14: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:18:07 ID:OhX
古事記や日本書紀に邪馬台国と卑弥呼の記述が無いのはどういうことなんや
かつての一国のトップを無視とかあり得るんか

15: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:18:33 ID:gh1
>>14
あるぞ
日本書紀では神宮皇后=卑弥呼や
神功皇后
神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。
『日本書紀』などによれば、神功元年から神功69年まで政事を執り行なった。夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死(『天書紀』では熊襲の矢が当たったという)。その後に熊襲を討伐した。それから住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。
『日本書紀』において、巻九に神功皇后摂政「66年 是年 晋武帝泰初二年晉起居注云 武帝泰初(泰始)二年十月 倭女王遣重貢獻」として、晋書の倭の女王についての記述が引用されている。このため、江戸時代までは、卑弥呼が神功皇后であると考えられていた。しかし、この年は西暦266年であり、卑弥呼は既に死去しており、この倭の女王は台与の可能性が高いとされている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/神功皇后

no title
17: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:19:53 ID:FJH
>>15
ほうほう、それってほぼ確定なんか?

20: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:22:10 ID:gh1
>>17
書記の神宮皇后紀には魏志倭人伝の卑弥呼の記述がそのまま引用されている

21: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:23:35 ID:FJH
>>20
そうなんか、サンガツ

19: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:21:25 ID:ynt
真偽はともかく金印が畑が出てくるとか連続性ないしな

23: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:24:25 ID:FJH
>>19
ほんこれ

22: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:23:53 ID:gh1
宋書倭国伝・隋書倭国伝「いかんのか?」
宋書
『宋書』(そうしょ)は、中国南朝の宋について書かれた歴史書。宋・斉・梁に仕えた沈約(441年 - 513年)が斉の武帝に命ぜられて編纂した。本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる紀伝体。二十四史の一つ。
日本については「夷蛮伝」(いばんでん)の記述の中に、倭の五王と呼ばれる日本の支配者から朝貢が行われたことが記されており、この時代の日本の貴重な資料となっている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/宋書
24: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:24:40 ID:OhX
魏志倭人伝の日本までの距離の記述をそのままに計測したら
ハワイにたどり着くという結果が出るという記事を見た時は吹いたわ
邪馬台国
邪馬台国(やまたいこく / やまとこく)は、2~3世紀または1~3世紀[独自研究?]に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。
厳密に「魏志倭人伝」の行程どおりに素直に距離と方角を辿ると邪馬台国は太平洋のど真ん中に行きつく。ゆえに、白石も宣長もさまざまな読み替えや注釈を入れてきた。江戸時代から現在まで学界の主流は「畿内説」(内藤湖南ら)と「九州説」(白鳥庫吉ら)の二説に大きく分かれている。ただし九州説には、邪馬台国が“畿内に移動してヤマト政権となった”とする説(「東遷説」)と、邪馬台国の勢力は小さく“畿内で成立したヤマト政権に滅ぼされた”とする説がある。
考古学的見地からは、高橋健自、笠井新也らを嚆矢として畿内説支持者が多い。


https://ja.wikipedia.org/wiki/邪馬台国
29: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:31:28 ID:Pp6
>>24
日ハム小笠原「それは一里の長さが昔と今で違うからだぞ」

40: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:39:10 ID:xJg
>>29
当時の一里で計算すれば九州内に全部収まり矛盾しないのに政府が邪馬台国をヤマト政権に繋げたいから絶対に認めないとかいう陰謀論もあるぞ

26: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:27:30 ID:kMs
魏志倭人伝は正確な距離をばれないためにわざと小細工したんやろ(適当)

25: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:24:53 ID:6t5
卑弥呼が本当は日巫女だった説すこ

30: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:32:05 ID:xJg
239年の卑弥呼朝貢から413年の讃の朝貢までやぞ

32: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:33:56 ID:gh1
>>30
壱与「ワイも晋に朝貢してるぞ」

34: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:34:31 ID:OhX
終戦直後にGHQが古墳を調査して日本政府に二度と調べるなと指示している謎
何を見つけたらそんな事になるんや
 
35: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)08:35:48 ID:FJH
>>34
GHQが調査したんか、知らんかったわ

96: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:34:01 ID:SDp
>>34
たぶんいろいろ壊しまくっちゃっただけだと思うんですけど(名推理)

36: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:37:30 ID:gh1

整備を名目に明治初期には大仙古墳(仁徳天皇陵)が調査されている事実
そのせいでなぜかアメリカに大仙古墳出土品がある模様

43: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:41:28 ID:gh1
本居宣長「卑弥呼とか九州の女酋が勝手に朝廷名乗った不届きものやぞ」
卑弥呼=熊襲の女酋説
本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世らが唱えた説。本居宣長、鶴峰戊申の説は卑弥呼は熊襲が朝廷を僭称したものとする「偽僣説」である。
本居宣長は邪馬台国を畿内大和、卑弥呼を神功皇后に比定した上で、神功皇后を偽称するもう一人の卑弥呼がいたとした。ニセの卑弥呼は九州南部にいた熊襲の女酋長であって、勝手に本物の卑弥呼(=神功皇后)の使いと偽って魏と通交したとした。また、宣長は『日本書紀』の「神代巻」に見える火之戸幡姫児千々姫命(ヒノトバタヒメコチヂヒメノミコト)、あるいは萬幡姫児玉依姫命(ヨロツハタヒメコタマヨリヒメノミコト)等の例から、貴人の女性を姫児(ヒメコ)と呼称することがあり、神功皇后も同じように葛城高額姫児気長足姫(カヅラキタカヌカヒメコオキナガタラシヒメ)すなわち姫児(ヒメコ)と呼ばれたのではないかと憶測している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼
46: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:42:45 ID:6t5
>>43
お前は源氏物語でも読んどけ

44: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:42:06 ID:46j
古墳調査できたとしても盗掘あいまくってるだろうからなあ

45: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:42:36 ID:Pp6
そもそも卑弥呼なんて実在してたんか?
そこから話背なあかんのとちゃうん?

51: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:47:02 ID:kLV
あと獲加多支鹵をワカタケルと読むのはかなり苦しいんやで
某京大教授の最期の成果だったので誰も突っ込めなかったんや
no title

56: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:50:10 ID:AdC
漢に朝貢した奴国は九州にあった
記紀によると神武天皇は九州に降り立って東征して「ヤマト」に定住した

「ヤマタイ」国は九州か畿内か?

畿内説のほうが整合性があるように見えるんやけど

57: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:56:30 ID:TJ9
邪馬台国って大和朝廷との関係があやふやなんやのー
関係はっきりわかる資料発掘されんのかな。

59: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:57:49 ID:xJg
>>57
箸墓古墳掘り起こすのが手っ取り早いで

61: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:59:00 ID:AdC
>>59
宮内庁「だめです」

64: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)08:59:58 ID:TJ9
>>59
卑弥呼の葬式の花輪とか残っとるんかの?
宛名がかいてあればよくわかるんやけどな。

67: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:01:29 ID:OhX
古墳調査も見方変えればただの墓荒らしやからな
もし調べる事が出来ても成果無しだった場合色んな意味で不味い

69: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:03:57 ID:Ams
七星剣と七支刀かっこよすぎや
no title
no title

71: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:06:33 ID:gh1
聖徳太子は巨大ロボを建造しとったらしいからな

88: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)09:20:16 ID:FJH
こうしてみると、日本史にも結構空白の時間や謎が多いンゴねぇ・・・

95: 名無し 投稿日:2016/05/08(日)09:33:33 ID:FJH
ってかよくよく考えたら、今から2000年近くも昔からの事が詳細に分かる記録を残しとけよってのがそもそも無茶な理論か

97: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:34:23 ID:gh1
>>95
日本にはもともと文字がなかったから仕方ないね
日本人が文字使いこなせるようになってきたのがだいたい10世紀からやし

98: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:34:27 ID:QTa
今って聖徳太子習わんのやろ?
no title

105: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)09:46:54 ID:fb0
司馬遷「史記書くんやで」
後世の歴史家A「史記の信ぴょう性ってどうやろな」
後世の歴史家B「さすがに殷王朝は嘘くさいな、時代も古いし推測やろね」
清末甲骨文字の解読進む→殷本記の記述正しいと立証される
殷歴代王もぴったり一致、司馬遷しゅごい

122: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)10:17:22 ID:gh1
日本神話はオオクニヌシの国譲りにしろ
ちゃんと天孫降臨や神武東征以前に
現地に支配勢力があったってことを書いてるのは正直やね

140: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)10:50:33 ID:3SQ
できたンゴ
no title

147: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/05/08(日)11:03:21 ID:dcd
正直二度と分かることは無いやろな

元スレ:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1462662148/
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かんじょちりし…ごかんしょとういでん…ぎしわじんでん…
うっ、頭が……
覚える内容減るから聖徳太子も卑弥呼も実在しなかったことにしてくれ~!




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