2: サッカーボールキック(愛知県) [DE] 2019/11/17(日) 09:52:56.37 ID:hiAuNi/c0
歴史ロマン

天海=明智光秀説
天海=明智光秀説は、江戸時代初期、幕政に大きな影響力を持っていた僧・天海と、戦国武将の明智光秀は同一人物であるとする説。フィクション等でも採用され、広く知られているが、専門の歴史家の著した書籍で事実と扱われたものはなく、中世史家の小和田哲男も史実ではないとしている。

天海は高名な僧であるにもかかわらず前半生は詳細に知られておらず、第12代将軍足利義晴の子であるとか、古河公方足利高基の子であるなど、様々な説が唱えられてきた。明智光秀が天海となったという説もその一つであるが、いつ頃唱えられだした説かは定かではない。

1916年(大正5年)、天海の伝記『大僧正天海』を著した須藤光暉は、天海は船木兵部少輔景光と妻の芦名氏の子であると推定しているが、一部の考証家に「光秀が天海となり、豊臣氏を滅ぼして恨みを晴らした」という「奇説」を唱えるものがいると記述しており、この頃にはすでにこの説が唱えられていたとみられる。

専門の歴史学者でこの説を支持しているものはおらず、同時代史料にも明示したものは存在しない。しかし会計学者の岩辺晃三など支持者も存在する[5]。

天海の遺品のなかには、天海の所用と伝えられる甲冑(滋賀県求法寺所蔵)と鉄砲(川越喜多院所蔵)が現存する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/天海=明智光秀説