1: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:01:25 ID:ccs
暇つぶしに劉備が人肉を食べた話を翻訳してみたぞ

苦手な人は読まないでね

出典は三国演義の第十九回
呂布に攻められて夏侯惇が助けに来たが目を射られて敗走したあと
劉備も呂布に負けて敗走中の出来事

9059460d

2: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:02:30 ID:ccs

且説玄徳匹馬逃難、正行間、背後一人?至、視之乃孫乾也。
(さて玄徳は単騎で難を逃れ、まさに進んでいると、背後からある一人が追いついて、見てみると彼は孫乾でした。)

玄徳曰:「吾今両弟不知存亡、妻小失散、為之奈何?」
(玄徳は言いました。「私は今二人の弟(関羽・張飛)の生死もわからず、妻子と別れてしまい、どうすればよかろうか?」)

孫乾曰:「不若且投曹操、以図後計。」
(孫乾は言いました。「とりあえず曹操を頼り、後のことを考えましょう。」)

玄徳依言、尋小路投許都。
(玄徳はその言葉に従い、小路を探して許都に行きました。)

4: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:03:55 ID:ccs

途次絶糧、嘗往村中求食。
(途中で食糧がなくなり、それまで村に行って食糧を求めておりました。)

但到処、聞劉豫州、皆争進飲食。
(行ったところでは、劉豫州(劉備)と聞くと、みなが競って飲み物食べ物を出しました。)

一日、到一家投宿、其家一少年出拝、問其姓名、乃獵戸劉安也。
(ある日、ある家にたどり着いて宿を取ろうとすると、その家の少年が出てきて拝礼したので、姓名を尋ねると、猟師の劉安といいました。)

6: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:05:37 ID:l7L
まあ程昱も兵糧に人肉混ぜてたし人肉食うぐらい大したことやない(錯乱

8: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:06:43 ID:ccs
>>6
ぶっちゃけ中国の古典を読めば絶対に人肉に行き当たるからそれほど驚くもんでもなくなる
ワイは中国古典慣れして人肉ごときどうでもよくなった

7: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:05:47 ID:ccs

当下劉安聞豫州牧至、欲尋野味供食、一時不能得、乃殺其妻以食之。
(このとき劉安は豫州牧が来たと聞くと、鳥獣の肉を手に入れて食べさせようとしましたが、すぐには手に入らないので、妻を殺して食べさせました。)

玄徳曰:「此何肉也?」安曰:「乃狼肉也。」玄徳不疑、乃飽食了一頓、天?就宿。
(玄徳は言いました。「これは何の肉だ?」安は言いました。「狼の肉です。」玄徳は疑わず、腹いっぱいになるまで食べ、その夜は就寝しました。)

至暁将去、往後院取馬、忽見一婦人殺於厨下、臂上肉已都割去。
(夜が明けて出発しようとし、裏庭に行って馬を取ろうとすると、突然一婦人が厨房で殺されており、臂の肉がすべて削ぎ取られているのが目に入りました。)

玄徳驚問、方知昨夜食者、乃其妻之肉也。玄徳不勝傷感。
(玄徳が驚いて問うと、ようやく昨夜食べたものが、(劉安の)妻の肉だとわかりました。玄徳は悲しみを堪えられませんでした。)

洒涙上馬。劉安告玄徳曰:「本欲相随使君、因老母在堂、未敢遠行。」
(涙を流して馬に乗りました。劉安は玄徳に告げました。「本来なら使君に従いたいのですが、老母が家にいるので、遠くには行けないのです。」)

12: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:08:02 ID:ccs

玄徳称謝而別、取路出梁城。忽見塵頭蔽日、一彪大軍来到。
(玄徳は感謝して別れ、道を選んで梁城に行きました。突然塵が日を覆い、一隊の大軍が到来しました。)

玄徳知是曹操之軍、同孫乾径至中軍旗下、與曹操相見、具説失沛城、散二弟、陥妻小之事。操亦為之下涙。
(玄徳は曹操の軍だとわかるや、孫乾とともにまっすぐと中軍の旗の下に行き、曹操と会い、つぶさに沛城を失い、二弟(関張)と離れ離れになり、妻子が捕まったことを話しました。操もまたそのために涙を流しました。)

又説劉安殺妻為食之事、操乃令孫乾以金百両往賜之。
(また劉安が妻を殺して食べさせてくれたことを話すと、操は孫乾に命じて金百両を彼に賜りに行かせました。)

9: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:07:13 ID:jSH
おいしそうに食べる奴と食べない奴の差が激しすぎんねん

11: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:07:35 ID:l7L
狼の肉とか嫁殺して老母が~とか日本人の感覚やとなんかツッコミどころ満載やな

13: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:08:45 ID:wZf
演義なのが救いやな
先主伝に書いてあったらガクブルもんや

16: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:11:12 ID:l7L
正史三國志やと兵糧が無い時の定番は桑の実のイメージ
よっぽどまずいんやろうな

42: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:50:06 ID:2zB
人肉食べた話って嘘なんか?
何が三国志は本当の話に近いんや

44: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:51:29 ID:ccs
>>42
嘘というか創作
正史に近い二次創作なら演義だよ

46: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:53:44 ID:2zB
>>44
人肉は違うけど演義自体は正史に近いんやな
横山光輝verはどうなんや?

47: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:56:36 ID:ccs
>>46
そうやで
演義は基本正史の話をそのまま切り貼りしたもんやから七実三虚もあながち間違いやない
横山は正史→民間伝承→三国志平話→三国志演義(李卓吾)→三国志演義(江戸時代に和訳された。オリジナル設定も入れてる→吉川→横山と改変されてる
李本の演義から吉川まででかなり改変されてるから五実五虚ぐらい……?

48: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:57:08 ID:2zB
>>47
一応事実は混ざってるんやな

49: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:58:29 ID:ccs
>>48
完全に史実無視というわけにはいかないからね
ちなみに今日本で流通してる毛本の演義は李本より正史に近い(というか毛宗崗が近づけた)からそっち読んでみるのもおすすめしますやで

10: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:07:20 ID:078
諸葛亮が饅頭作った話もよろ

14: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:09:37 ID:ccs
>>10
饅頭は吉川設定やと諸葛亮頭ええで終わるが演義やと諸葛亮の祀り方に誠意があったから死霊たちが消えてくれたって設定
まあワイ三国演義全部訳したことあんねんけど人まったく来てくれなくて紹介するのはやめたで


17: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:13:19 ID:ccs
饅頭の話の原文はこれ

卻?孔明班師回國,孟獲率引大小洞主酋長及諸部落,羅拜相送。前軍至瀘水,時?九月秋天,忽然陰雲布合,狂風驟起,兵不能渡,回報孔明。
孔明遂問孟獲,獲曰:「此水原有猖神作禍,往來者必須祭之。」
孔明曰:「用何物祭享?」
獲曰:「舊時國中因猖神作禍,用七七四十九顆人頭並黑牛白羊祭之,自然風恬浪靜,更兼連年豐稔。」孔明曰:「吾今事已平定,安可妄殺一人?」遂自到瀘水岸邊觀看。果見陰風大起,波濤洶湧,人馬皆驚。

孔明甚疑,即尋土人問之。
土人告?:「自丞相經過之後,夜夜只聞得水邊鬼哭神號。自?昏直至天曉,哭聲不?。瘴煙之?,陰鬼無數。因此作禍,無人敢渡。」
孔明曰:「此乃我之罪愆也。前者馬岱引蜀兵千餘,皆死於水中;更兼殺死南人,盡棄此處。狂魂怨鬼,不能解釋,以致如此。吾今?當親自往祭。」
土人曰:「須依舊例,殺四十九顆人頭為祭,則怨鬼自散也。」
孔明曰:「本為人死而成怨鬼,豈可又殺生人耶?吾自有主意。」
喚行廚宰殺牛馬;和?為劑,塑成人頭,?以牛羊等肉代之,名曰「饅頭」。

當夜於瀘水岸上設香案,鋪祭物,列燈四十九盞,揚幡招魂;將饅頭等物,陳設於地。三更時分,孔明金冠鶴?,親自臨祭,令董厥讀祭文。其文曰:
維大漢建興三年秋九月一日,武?侯、領益州牧、丞相諸葛亮,謹陳祭儀,享於故歿王事蜀中將校及南人亡者陰魂曰:我大漢皇帝,威勝五霸,明繼三王。
昨自遠方侵境,異俗起兵;縱?尾以興妖,恣狼心而逞亂。
我奉王命,問罪遐荒;大舉貔貅,悉除螻蟻;雄軍雲集,狂寇冰消;纔聞破竹之聲,便是失猿之勢。
但士卒兒郎,盡是九州豪傑;官僚將校,皆為四海英雄。
習武從戎,投明事主,莫不同申三令,共展七擒;齊堅奉國之誠,並效忠君之志。
何期汝等偶失兵機,?落奸計:或為流矢所中,魂掩泉臺;或為刀劍所傷,魄歸長夜。
生則有勇,死則成名。今凱歌欲還,獻俘將及。汝等英靈尚在,祈?必聞。
隨我旌旗,逐我部曲,同回上國,各認本?,受骨肉之蒸嘗,領家人之祭祀;莫作他?之鬼,徒為異域之魂。
我當奏之天子,使汝等各家盡霑恩露,年給衣糧,月賜廩祿。
用茲酬答,以慰汝心。至於本境土神,南方亡鬼,血食有常,憑依不遠。
生者既凜天威,死者亦歸王化。想宜寧帖,毋致號?。
聊表丹誠,敬陳祭祀。嗚呼,哀哉!伏惟尚饗!
  
讀畢祭文,孔明放聲大哭,極其痛切,情動三軍,無不下?。孟獲等衆,盡皆哭泣。
只見愁雲怨霧之中,隱隱有數千鬼魂,皆隨風而散。
於是孔明令左右將祭物盡棄於瀘水之中。

訳すのめんどい

15: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:11:05 ID:jSH
空箱オナシャス

18: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:14:30 ID:wZf
学校の漢文の授業こういうのを題材にしてくれたらもう少し好きになってたかもしれんわ

19: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:15:43 ID:ccs
空箱は第何回だっけ?
>>18
三国志は題材として選びにくいからしゃーない

20: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:16:48 ID:l7L
テレビで三国志を扱うとき演義と歴史がごっちゃまぜになるのなんとかしてほしい
演義がまるで史実であるかのように紹介されるのなんかな…

21: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:17:25 ID:078
>>20
言うほどテレビで三国志扱うことあるか?

23: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:18:33 ID:l7L
>>21
まれにな
NHKとか昔世界ふしぎ発見でもあった

22: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:18:26 ID:wZf
ほとんどの人にとって三国志の入り口は演義やからな

24: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:19:10 ID:ccs
空箱は第六十一回やった
原文はこれ
短いから即興で訳せそう

侍中荀彧曰:「不可。丞相本興義兵,匡扶漢室,當秉忠貞之志,守謙退之節。君子愛人以德,不宜如此。」
曹操聞言,勃然變色。
董昭曰:「豈可以一人而阻眾望?」遂上表請尊操為魏公,加九錫。
荀彧歎曰:「吾不想今日見此事!」

  操聞深恨之,以為不助己也。
建安十七年冬十月,曹操興兵下江南,就命荀彧同行。
彧已知操有殺己之心,託病止於壽春。
忽曹操使人送飲食一盒至。盒上有操親筆封記。
開盒視之,並無一物。彧會其意,遂服毒而亡。年五十歲。

後人有詩歎曰:
文若才華天下聞,可憐失足在權門。
後人漫把留侯比,臨歿無顏見漢君。

25: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:21:33 ID:ACI
完全にはわからんでも、ある程度感覚でわかるから漢文はおもろいよな

28: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:23:46 ID:ccs
まずはすぐできる詩から

後人有詩嘆曰:
(後世の人は詩を作って嘆いた、)

文若才華天下聞、可憐失足在権門。
(文若(荀彧の字)の才能は天下に広まっているが、憐れむべきは足を権門に失ってしまった(曹操に仕えてしまった)。)

後人漫把留侯比、臨歿無顔見漢君。
(後世の人はみだりに留侯(漢の張子房。荀彧は曹操に我が子房と言われたことがある。)と比べているけど、死んだら漢君に会わせる顔はないぞ。)

29: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:29:22 ID:ccs
以下は曹操が九錫を貰おうとするのに反対するシーン。九錫を貰うことはそのまま簒奪に繋がる。


侍中荀彧曰:「不可。丞相本興義兵、匡扶漢室、当秉忠貞之志、守謙退之節。君子愛人以徳、不宜如此。」
(侍中の荀彧は言った「だめです。丞相はもともと義兵を起こし、漢室を助けられたのですから、忠貞の志を持ち続け、謙譲する節義を守らなければならないのです。君子は人を愛するのに徳をもってするものですから、このようにするのはよろしくありません。」)

曹操聞言、勃然変色。董昭曰:「豈可以一人而阻衆望?」遂上表請尊操為魏公、加九錫。
(曹操はその言葉を聞くと、突然顔色を変えました。董昭は言いました。「どうして一人(荀彧)のために人々の望みを阻めましょうか?」ついに上表して操を魏公にさせ、九錫を与えさせました。)

荀彧嘆曰:「吾不想今日見此事!」
(荀彧は嘆きました。「私は今日この事(魏公と九錫)を見るとは思わなかったぞ!」)

30: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:29:32 ID:ccs
続きいる?

32: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:32:59 ID:l7L
あんだけ曹操の側におった荀彧が曹操の野心に気づかないわけがないんだよな

34: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:34:31 ID:ccs
>>32
荀彧は忠臣という意見もあるがワイは確信犯やと思うで

せっかくなので

操聞深恨之、以為不助己也。
(操は聞いてそれを深く恨み、自分を助けてくれないのだと思いました。)

建安十七年冬十月、曹操興兵下江南、就命荀彧同行。
(建安十七年冬十月、曹操は兵を起こして江南に行こうとし、荀彧に同行を命じました。)

彧已知操有殺己之心、託病止於寿春。
(彧は操が自分を殺そうとしているのをわかっていたので、病と称して寿春に留まりました。

忽曹操使人送飲食一盒至。盒上有操親筆封記。
(突然曹操が人に飲食物の(入った)一箱を送らせてきました。箱の上は操の親筆で封印が書かれておりました。)

開盒視之、並無一物。彧会其意、遂服毒而亡。年五十歲。
(箱を開いてみてみると、何一つとしてありませんでした。彧はその意味を理解し、ついに毒を飲んで亡くなりました。五十歲でした。)

35: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:36:37 ID:l7L
>>34
ワイも同じ意見やがただ献帝の側におって年取って漢に対する忠義が芽生えた可能性も無きにしも非ずやと思う

36: 名無しさん@おーぷん 2019/01/30(水)21:37:58 ID:ccs
>>35
そうかもしれないね
正史の荀彧伝は昔訳したけど記述が少なくてどうとでも取れるって印象やった
それだからこそ色々想像できて楽しいわ


引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1548849685/