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1: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:21:54 ID:YPd
西郷どんとなんかどうでもいいから、
コイツはよ大河ドラマしろや

ジョン万次郎

ジョン万次郎(1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。

アメリカ人からはジョン・マンという愛称でも呼ばれた。土佐国(現・高知県)出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎(なかはま まんじろう)を名乗った。

なお、「ジョン万次郎」という呼称は、1938年(昭和13年)に第6回直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたことで広まったもので、それ以前には使用されていない。

日米和親条約の締結に尽力し、その後、通訳・教師などとして活躍した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン万次郎
NakahamaJohnManjiro

2: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:23:17 ID:YPd
1827年
四国の土佐の糞田舎に産まれる。
8歳の時に父親が亡くなる。
家族を養うのに働きに出ていたため、読み書きは一切できない。

3: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:23:48 ID:YPd
1841年
14歳の時に仲間四人で海に漁に出ていたら遭難して流される。
現在の伊豆諸島の鳥島に漂着する。
雨水とアホウドリが捕まえてきた魚を強奪。
サバイバル生活で143日間生き残る。

4: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:24:11 ID:G6d
一種の天才やな

7: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:25:12 ID:YPd
>>4
ガチレジェンドクラスやぞ

5: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:24:30 ID:YPd
たまたま通りかかったアメリカの捕鯨船に救助される。
日本は鎖国中だった為、捕鯨船とともにハワイに向かう。
仲間四人はハワイで降りたが、万次郎の才能を見出した船長が
養子にしてアメリカに連れて行く。

8: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:25:31 ID:VtM
ジョン万次郎って名前二つあって草生える

9: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:26:07 ID:no1
言葉どうしたんやろ割とマジで

11: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:26:26 ID:YPd
>>9
1843年
アメリカ行きの船の中で生まれて初めて文字を覚える。
アメリカ到着後、オックスフォード学校とバーレットアカデミーに通う。
英語を覚えはじめて2年たらずで学校の主席になる。

12: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:26:43 ID:N5C
>>11
化け物かな?

16: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:27:43 ID:no1
>>11
草しか生えん

10: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:26:23 ID:L5S
名前は良く聞いてるんやが詳しくは知らんかったわ
イッチ頼むで

14: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:27:27 ID:YPd
1848年
英語、数学、航海術、造船技術等マスターする。
学校卒業後は、捕鯨船に乗り、おそらく日本人としてはじめて
南極、大西洋、インド洋等、世界中の海を航海する。
21歳の時に船長に抜擢されるが、年配者に譲る。

25: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:34:03 ID:L5S
>>14
たった7年でこれか…

15: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:27:32 ID:hI2
確か日本語との翻訳までしたんやろ?

17: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:28:25 ID:YPd
1850年
万次郎ホームシックになり日本に帰りたくなる。
ゴールドラッシュのカルフォルニアに行き、金を掘り当てまくり
70日間で大金を稼ぐ。

18: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:30:13 ID:YPd
日本人ではじめてネクタイを巻いた男

19: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:31:17 ID:YPd
大金を手にハワイに渡り、遭難漁師仲間と感動の再会。
小舟「アドベンチャー号」を購入して、漁師仲間と共に中国行きの商船に乗る。
中国に向かう途中でアドベンチャー号に乗り換え、琉球王国へたどり着く。

22: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:32:10 ID:dD2
最後は割と寂しい末路やなかった?

23: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:32:46 ID:YPd
>>22
せやな、、、

21: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:31:36 ID:I4n
割と最近の人なんだよな

24: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:33:15 ID:YPd
1851
琉球王国から薩摩へ渡る。
脱藩者、脱国者は死罪であったため、長崎奉行所に送られ
1年間の尋問プレイを受ける。
あんな事やこんな事をされ、踏み絵をしまくってようやく開放されて、土佐に帰る。

26: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:34:16 ID:YPd
土佐で取り調べを受けていた際、監視役の河田小龍が、
万次郎から聞いた異国生活を記した「漂巽紀略」を執筆。

これをハァハァしながら読んでいた坂本龍馬がおかしな性癖に目覚める。


27: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:36:23 ID:YPd
1852年
土佐の士分となり、英語、数学、航海術等の教鞭をとる。
教え子には岩崎弥太郎(三菱財閥の初代総帥)や
後藤象二郎がいる。

28: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:37:39 ID:YPd
1853
ペリー来航
大混乱の中、幕府からスカウトされる。
最重要人物しか入れない職場だった為、旗本に格上げされる。
万次郎に仕事を取られたと妬んだ老中らが、万次郎スパイ疑惑の
文春砲が飛び交う。
万次郎解雇処分。
表向きには解雇されていたが、実際には日米和親条約にむけて
助言や取りまとめを行っていた。

29: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:38:56 ID:YPd
1860年
日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の1人として、
再びアメリカへ。
船長の勝海舟の船酔いがひどく、使い物にならなかった為、
万次郎は代わって船内の秩序保持に努める。

30: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:39:00 ID:MwM
面白そうやな

31: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:39:36 ID:YPd
その後なんやかんやで教鞭や外交に尽力して72歳で永眠

32: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:41:20 ID:YPd
天才的な英語力、数学力、造船技術、航海術を持っていたが、
日本語の読み書きが下手くそというとんでもない弱点を持っていたため、
通訳としていまいち大成できなかったとされる。

36: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:43:28 ID:Kvp
>>32
とんでもないというかTDN漁民なんやししゃあない

33: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:42:38 ID:YPd
また複雑な造船や鉄道などの技術を日本人に伝えるのに、日本語で説明しずらかったので、
絵を用いて表現したが、画力が前田健太レベルであった為、
そのほとんどは正確に伝わらないまま埋もれてしまった。

35: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:43:22 ID:7dS
なろう小説もビックリのチート万次郎

37: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:43:49 ID:YPd
晩年にはアメリカから知人らが訪ねてきたが、
ほとんど英語を忘れて話せないという珍プレーも。

55: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)18:02:51 ID:AZB
日本人として初めて喜望峰(アフリカ最南端)、ドレイク海峡(南アメリカと南極大陸の間)を通過したもよう

57: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)18:08:57 ID:uzJ
手先の器用なおっさんが国産初の蒸気船作った話もすこ

59: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)18:11:19 ID:YPd
>>57
万次郎の画力がせめて一般人レベルあれば、日本の造船、鉄道は飛躍的な発展をとげていたという悲しい事実

51: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:55:17 ID:N5C
名前が悪いよな名前が
お笑い芸人みたいな名前になっとる

45: 名無しさん@おーぷん 2018/01/23(火)17:49:03 ID:YPd
これハリウッドでちゃんと金かけて制作したら、ラストサムライどころじゃない名作になりそうなのに、、、


引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1516695714/