1: 記憶たどり。 ★ 2018/09/27(木) 14:54:19.11 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28

兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流

夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。
大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

(中略)

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養
その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。
以来、大きな火事は起こっていないという。
うしみつ注:引用此処まで。全文はソース元をご覧ください
夙村の跡。現在はスギやヒノキの植林に覆われている=2018年9月23日午前10時29分、兵庫県篠山市味間南で
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